サインペンで書いたヘタウマな絵『勝手にしやがれ』

「映画界にとってゴダールの存在は、音楽界でのボブ・ディランの存在と同じだと思う」

とこのように語ったのは映画オタク大将のクエンティン・タランティーノ。「今はゴダールを卒業した」と彼は公言しているが、タランティーノのこの言葉はゴダールを的確に表現している。ボブ・ディランの登場もゴダールのそれと一緒だった。ヘタクソなハープ、ただコードをストロークするだけのギター、キレイとは言えない声――――だが、彼の衝動と誰にも思いつかない言葉の使い方は世界に衝撃を与えた。オレらにもやれるんだという勇気をもたらした。ビートルズ(特にジョン・レノン)もニール・ヤング岡林信康吉田拓郎ボブ・ディランに影響を受け、独自のものを作り出してきた人たちだ。

勝手にしやがれ』はゴダールの長編デビュー作である。当時の若者に強く影響を与えた一本として、ハリウッドにもその衝撃は飛び火した。『勝手にしやがれ』の主人公はおおよそ映画に出てくるようなヒーローではなく、共感しにくい犯罪者である。冒頭で自動車を盗んだかと思えば、さらに警官を何の理由もなくいきなり撃ち殺す。そのことにはまったく反省してない様子で、金のこと、女のこと、ファンションのことしか考えておらず、惚れた女にタレ込まれ、あっけない最期を迎える。ストーリーはかなりシンプルであるが、『勝手にしやがれ』は何もかもが今までの映画とは違っていたのだ。

自由奔放だったのはそのストーリーだけではない。映像や編集も既存の映画とはまるで違う。『雨に唄えば』を観れば分かるが、当時のフランス映画やハリウッドはどのシーンでもスタジオの中にセットを作り、音は別に撮って後で付け足していた。これが映画を作るうえでの常識であり、いわば体制であった。ゴダールはこれを一切無視して、まったく新しい映像と映画撮影の在り方を提案した。これがヌーベルバーグと呼ばれるものである。

まず『勝手にしやがれ』は全編ロケ撮影だ。自然光を取り入れ、映像はとても荒い。音は同時録音のため、街の雑音がそのまんま映画の中に取り込まれ、さらにベトナムの報道カメラマンだったラウル・クタールによる手持ちカメラは全編にわたって使われ、画面は不安定に揺れ続ける。演出もアドリブがほとんどで、立ってるだけで絵になるジャン・ポール・ベルモンドジーン・セバーグをひたすら長回しで撮り続けた。これは映画の演出というものをすっ飛ばして衝動だけで撮ったものだが、パリの街並の生々しさと主演二人の魅力が十分過ぎるほど焼き付けられていた。素人が撮ったのは一目瞭然だったが、当時の若者には衝撃的な映像として受け入れられ、「オレらにも映画が作れるかもしれない」という勇気を与えた。格式が高かった映画がこちらに近づいていたのだ。

編集に関しては、ジャンプカットという手法を発明した。今日ではMTV調な映像として動きを作り出すのに使われている。『女と男のいる舗道』になると市民権を得たのか、かなり意図的に演出に取り込まれているが、『勝手にしやがれ』では上映時間が長過ぎると言われたために、苦肉の作としてシーンをまるまる削るのではなく、連続したシーンから数秒コマを抜いた。これによって車を運転するシーンでは背景がいきなりパッと変わったり、裸だったベルモンドが急に服を着ていたりしているという奇怪な映像になったが、これが今までの映画になかった映像を作り出した。映画はそれまで連続した物を映すことが当たり前で、映画はそれ以上でもそれ以下でもなく、カメラを動かすことだけがケレン味とされてきた。だがミスって編集したような意味不明なガタガタの動きが、昨今でいわれている「スタイリッシュ」の先駆けになったのだ。

さらにカメラ目線で観客に話しかけるというのも常識外れだった。映画である以上、主人公たちは映画の中で生活し、カメラの存在をこちらに気づかせてはいけない。カメラに向かって話かけるというのは観客への問いかけであり、映画を観ているという「現実」に引き戻される。これは最近『ファイト・クラブ』のストーリーテラーとして引用されたが、これも斬新なアイデアだった。

加えてジャン・ポール・ベルモンドジーン・セバーグのかっこよさである。フワッとした演技でも絵になる役者を使えばそれだけで映画が成立してしまうということも『勝手にしやがれ』でより明確になった。くわえたばこにスーツ、部屋でもネクタイを外さないベルモンド、ベリーショートにTシャツ、男物のシャツを着るセバーグ、映画専用の衣装ではなく、あるものを使ってオシャレに役者を彩るという点でも『勝手にしやがれ』は衝撃的だった。

男物のシャツを着るジーン・セバーグに萌え!

さて、この『勝手にしやがれ』であるが、今観ても色あせない作品である。究極のアマチュアリズムで編集も無茶苦茶。故に分かりにくいシーンも多々ある。特に警官を撃ち殺すシーンはベルモンドは背中に銃を突きつけられているのに、銃の音がなると、警官が前の方で倒れていて、どう観てもおかしい。ただ、ハリウッドの映画がキレイな風景を見つけて、きちんと下書きをして高級な絵の具で塗られたスケッチだとしたら、『勝手にしやがれ』は326のイラストの様にサインペンだけで書かれたような温もりと暖かみがある。そしてそのヘタウマな絵の方が好きだという人も多いということだ。

ちなみにぼくは『気狂いピエロ』までのゴダール(それも全部じゃない)が好きで、さらに『勝手にしやがれ』も『気狂いピエロ』もゴダールの最高傑作だとは思っていません。あういぇ。

参考資料:フィルムアート社「CineLesson3ゴダールに気をつけろ!」ポール・A・ウッズ著、吉田智佳子訳「クエンティン・タランティーノの肖像」