90年代を変えた男の出発点『レザボア・ドッグス』


宝石強盗をするために集められた素性を知らない6人の男たち。彼らの中に警察の犬(裏切り者)が居て、宝石強盗は失敗に終わる。果たして裏切り者は誰なのか……

いやはや、何度巻き戻して観ただろうか。DVDがなかった時代にVHSで購入して、テープが切れるまで観た。この映画を観たときの衝撃を未だに忘れられない。90年代を代表するという意味でタランティーノの映画では『パルプ・フィクション』が有名だろうが、やはりデビュー作である『レザボア・ドッグス(以下『レザボア』)』が彼の原点であり、低予算ながらこの時点で彼は自分のやりたいことをバッチリ成し遂げていた。

『レザボア』は一部の映画評論家の間では不評だ。「内面が描かれていない」「演出が未熟」「マニアックな会話とバイオレンスを散りばめ、過去の映画を引用しただけの映画」――――過去の映画を引用しただけの映画?過去の映画を引用しただけでは『レザボア』はとっくに廃れている。『荒野の用心棒』もそうだ。ただパクっただけでは黒澤ファンから非難轟々になるはず。あの映画が未だに語り継がれるのは細部にあったリアルさである。西部劇の常識を覆したリアルな造形と細部。だからこそ『用心棒』よりも好きだというファンも多いのである。実は『レザボア』にもそれは当てはまる。『レザボア』はただ単に過去の映画をパクっただけの映画ではない。ではなぜ『レザボア』はここまで語り継がれ、タランティーノは90年代を代表する監督になったのか?

冒頭、全身黒ずくめの男たちがレストランでおしゃべりを繰り広げる。マドンナの「ライク・ア・ヴァージン」の歌詞についての解釈。映画においてまったく物語に関係ないシーンであるが、これが斬新だった。アルトマンの『ロング・グッドバイ』も自殺した親友を巡る話だが、『レザボア』と同じように、冒頭に物語に関係ないシーンを10分も入れている。ここで各キャラクターの性格や映画のムードを提示するわけだが、『ロング・グッドバイ』と決定的に違うのは『レザボア』はその無駄とも思えるポップカルチャーに関する小粋な会話が随所に差し込まれる点である。

『レザボア』は一切内面が描かれない。それがこの映画の弱点でもある。誰がどういう過去を持ち、どういう心理で行動しているのかはバッサリカットされている。これはタランティーノが意図したものなのかは明らかではないが、そういう部分を補っているのが無駄な会話シーンであるといえる。

強盗をするために集められた彼らはボスにこう言われる。「本名を明かしてはならない」――――つまり彼らは一度限りの集まり。そこに感情移入や人となりは皆無。ましてや自分の出身地や過去などは絶対に仲間に話してはならないのである。だからこそ彼らには過去が無く、映画の中でも描かれない。だからと言って黙ってれば映画にはならない。彼らはプロだが、映画でそれをリアルに描いてしまうとおもしろくない。タランティーノはこの映画における矛盾を無駄な会話シーンで補っている。これがなければ本当に行動だけ描いてしまい、まったく中身のない映画になっていたはずだ。

チップが不合理だというピンクは現実的で冷静。的確なツッコミを入れつつ、残虐なジョークもいうホワイトはギャングの定型で親分肌。ホモを差別するような会話のブロンドは自分がホモであることを隠してるような男。口数が少ないオレンジ(何故口数が少ないのかは、映画を観れば明らかになっていく)、完全に親父の影に隠れているナイスガイ・エディは半人前、キャラクターの過去が描かれないはずなのに、キャラクターの情報を我々は会話から読み取ることが出来る。ぺちゃくちゃしゃべって中身がないと批判を受けた『レザボア』だが、その魅力のひとつはこの会話シーンにあるのだ。

さらに映画は直線的には進まない。強盗の映画なのに、強盗後のシーンが中心で、さらに映画の中の時制はグッチャグチャである。観ている人は置いてけぼりを喰らいそうになるが、だんだんと明らかになっていく全体像を観客は繋げながら観ていく。映画の中でキャラクターたちに起こっていること、その強盗に参加することになった経緯など、どんどんフラッシュバックによって差し込まれていくわけだが、これも従来のハリウッド映画には観られなかったスタイルである。全てのシーンが繋がったとき、観客は出てくる登場人物の誰よりも深く登場人物のバックグラウンドを知ることになるわけだが、ラストでの興奮はこの直線的に進まない物語のお陰であるといっていい。

重要なのはセリフや物語の進み方だけではない、音楽も重要だ。流れてるのは70年代のサウンドだが、マニアックすぎない所が彼のいいポイントである。『レザボア』で流れてる音楽は当時しっかりヒットしている楽曲が中心で。宝石の入ったバッグとかけた「リトルグリーンバッグ」や「医者は何処?腹痛が治らない」という歌詞のエンドロールの曲はタランティーノの本領発揮と言ったところで、使われてる音楽には少なからず意味がある。既成の音楽を引っ張って来て使うことの重要性を改めて90年代に提示したのはタランティーノであったことも忘れてはならない。

そして膨大な映画からの引用。その匂いは少し知的でもあり、マニアックでもある。ぼくは映画に興味を持ち始めたときにこの作品を観たのだが、改めていろんな映画を見直してから観ると様々な映画の匂いがあちらこちらに出てくる。しかもそれらを知らなくても充分に楽しめたのは『レザボア』が一般的な構造をしているからであろう。『パルプ・フィクション』ではその匂いを極端に抑えたが、『レザボア』はむき出しだ。ゴダールが“映画の中で映画史を評価”したように、タランティーノも今まで見て来た映画を『レザボア』で評価しなおす。『風は友の彼方に』と『血とダイヤモンド』が一番有名だが、レオーネからの影響も大。三すくみの決闘、それだけでなく何かが起こるまでの長いストローク長回しも彼の影響だといっていいだろう。黒いスーツなのは『男たちの挽歌2』で、残虐なシーンを直接見せないのは『スカーフェイス』、仁義という言葉が浮かぶホワイトの行動も任侠映画の影響が見られる。

演出面ではカメラワークとアングルがやはり独特。時間はまっすぐに進まないのにカットバックは極端に少なく。ローアングルを多用したのも見逃せない。『吠えろ!ドラゴン 起て!ジャガー』やレオーネ作品に出て来た、下からキャラクターの顔を煽るカットはタランティーノ作品では当たり前になり、タイトルバックではストップモーションを取り入れるなど、脚本家としての才能以外に演出家としても光るものがある。

これはキャスティングにも見られ、ハーベイ・カイテルは史上最高の演技をこの映画で見せ、スティーブ・ブシェーミもブレイクするきっかけになった。特に一番難しい役どころを演じきったティム・ロスは魅力的で、外っ顔はいいが、実はサイコでホモというマイケル・マドセンの役も見事。クリス・ペンもナヨナヨした演技でキャラを成立させている。

ストーリーや有名なシーンの解説を省いても、これだけの魅力に包まれる『レザボア・ドッグス』――――タランティーノはこの一作で世界をガラリと変えた。今ではタランティーノシンドロームに犯され、ありとあらゆる亜流作品が次々に出て来ては「タランティーノ」のマネだと言われる。だが、彼はこれ一発に終わらずこの作品以降どんどんスキルアップしていくのだ。小説の手法を大胆にも取り入れた『パルプ・フィクション』人物描写がなかったと言われた『レザボア』から一気にキャラクタースタディの手腕を発揮した『ジャッキー・ブラウン』そして究極のB級サンプリング映画『キル・ビル』を発表。これは香港映画、時代劇、マカロニウエスタンという娯楽の王道ではない作品を評価しなおした作品になった。その先を見せつけた『デス・プルーフ』と特大ヒットを記録した『イングロリアス・バスターズ』も特出した出来。

現代でもっとも重要な映画作家タランティーノ。彼の原点を探るという意味で『レザボア』は絶対に観なくてはならない作品。日本人にこの作品が受け入れられたのは「仁義」という日本独自の文化が根付いていたからこそだと思うが、日本人よりもそれを深く理解していたのは映画オタクのタランティーノだった。彼が提示した仁義に答えるべく、日本の観客はタランティーノの映画を観続けている……といったら言いすぎか?

参考資料:キネ旬ムック「フィルムメーカーズ・クエンティンタランティーノ」。『レザボア・ドッグススペシャル・エディションの特典映像。淀川長治×杉浦孝昭「おしゃべりな映画館」

レザボア・ドッグス [Blu-ray]

レザボア・ドッグス [Blu-ray]