ブラッシュアップされた“イングロ”『ジャンゴ 繋がれざる者』

ジャンゴ 繋がれざる者』鑑賞。新潟では一ヶ月遅れで公開だが、そういう地域も少なくないようで、同じような嘆きがTwitterで散見された。どういうことなのだろう。きっちり説明していただけるとありがたいのだが。

タランティーノがマカロニ・ウエスタンを敬愛しているのはかなり前から知られており、そもそも『レザボア・ドッグス』の三すくみはジョン・ウーというよりもセルジオ・レオーネの影響なんじゃないかと言われていたりもした。

英語ではメキシカンスタンドオフというらしい
その偏愛ともいうべきオマージュ具合は『キル・ビル』でより顕著になるものの、あくまでワンシークエンスや演出手法のみであり、まさか後にタランティーノがマカロニ・ウエスタンというジャンルそのものに手を染めるとは夢にも思ってなかった。しかしファンとしてはついにそれが実現に至ったかと感慨深かったりもするが、その反面どういう作品に仕上がるのだろうとまるで予想がつかなかった。

様々な思惑と期待が入り交じりながら観たのだが、結果からいうと『ジャンゴ』はあの傑作『イングロリアス・バスターズ』をブラッシュアップした作品になっていた。

もしかしたらタランティーノは『イングロリアス・バスターズ』で新たな作品の方程式を見つけたのかもしれない。以前『パルプ・フィクション』の脚本を書き上げたとき「形式を借り、それを伸ばしたりひねったりして今までなかった形に仕上げる」というコメントを残しているが、まさにそれがこの作品に当てはまる。

現にひとつの見せ場に至るまで長い会話のやりとりが延々と続き、それがそのまんまプロットを動かすと同時にサスペンス性を持続させ、一気に爆発して一瞬で終わるというのは『イングロリアス・バスターズ』の物語の動かし方と共通している。それだけじゃなく、別人になりすまし、敵陣に潜入して、それがバレるのかバレないのか?という後半部分も前作と一緒だ。あげく、その作戦に感づくのが最も汚い立場にいる男だというのも共通しているし、クリストフ・ヴァルツ演じる旅する歯医者は前作のランダ大佐を善人にしたようなキャラクターで、「誰かが聞いてると悪いからここからはドイツ後で話そう」というくだりも前作のオープニングの「ここからは英語で話すとしよう」というセリフと酷似している。あとクライマックスが超ド派手とか。

しかし、世界を代表する映画オタクの一人であるタランティーノ。そのオチュール・ポリシーとは別にジャンル映画の再構築も忘れない。今回は冒頭から『続・荒野の用心棒』のテーマ曲とオープニングクレジットのフォントを使い、それを『マンディンゴ』と掛け合わせるという離れ業を披露。セルジオ・コルブッチがやったことをアメリカ人の自分がやるとしたらどうするだろうというテーマを元に、「映画が映画史を評価する」というメタ的な視点とアメリカの奴隷制度という歴史を総括した作風は、無邪気に映画を撮ってきた彼のステージをグンと上げることに成功した。一度イーストウッドが終わらせた西部劇をマカロニという形で蘇らせ、ジャンルとして再構築した手腕は『ブレード/刀』で「片腕の剣士が活躍する武侠映画」という特殊なジャンルを蘇らせたツイ・ハークと呼応するものがある。本家ジャンゴであるフランコ・ネロを登場させたり、北部で銃の修行をするなど、これみよがしなシーンもあるが、基本的にはクールなダイアローグがふんだんに登場し、それがプロットを動かし、キャラクタースタディにもなっているといういつものタランティーノ映画である。

本来はウィル・スミスが演じる予定だったというジャンゴだが、これはジェイミー・フォックスで大正解だっただろう。やや優しくヒーローじみたウィルに比べるとその哀しみが目に宿ったような顔つきのジェイミーは終わってみたら彼しか考えられないほどのハマり役。前作でランダ役を演じるはずだったディカプリオも今作では見事な悪役っぷりを披露。アカデミー賞を獲得したクリストフ・ヴァルツも完璧で、もしかしたらタランティーノは彼のために次作でも当て書きをするんじゃないかと思うほどだった。

というわけで、『イングロリアス・バスターズ』が好きな人は圧倒的におすすめ。ここまでの物を作ってしまったら次作は『キル・ビル』や『デス・プルーフ』のような肩の力を抜いた作品でこちらを楽しませていただきたい。それくらい重厚で映画的な魅力が2時間45分の間に詰まった大傑作。早くも本年度ベストワン候補である。