主人公が歌い踊らないミュージカル『女は女である』

ゴダールレビュー第三弾ということで、今回は『女は女である』である。「『女は女である』である」というのは書くぶんには問題ないが、声に出して言うとちょっと変な感じ。ま、そんなことはどうでもいいのだが、それにしてもゴダールのことを書いてからアクセス数が若干下がったのは何故なのだろう。きょーみねぇよ!ゴダールなんてよ!ってことなのだろうか。すいません、寝る前にちょこちょこ観てたものですから少しだけお付き合いください。ちなみに16〜7歳くらいのときはゴダールにかぶれてましたよ、全発言とか全評論とか図書館で借りて読んでました、ええ。でも内容はまったく覚えてません。

世間的にはゴダールと言えば、『勝手にしやがれ』と『気狂いピエロ』だろうが、個人的にはゴダール=『女は女である』と言いたいくらいこの作品がゴダールを象徴していると思う。監督三作目にして自らのスタイルを完全に確立。この作品はダントツにゴダールの中でも“おもしろい”作品で、これとは著しくタッチは違うが、個人的には『女と男のいる舗道』と並ぶゴダールの最高峰である。

ゴダールのスタイルはデビュー作である『勝手にしやがれ』である程度出来上がっていた。だが、この『女は女である』は明らかにゴダールの中でも映画自体が浮いていて、これ以降のゴダール作品はこの『女は女である』を基調にしていると断言出来る。シンプルすぎるストーリー、ミュージカルの換骨奪胎、男と女、カラフルな色彩、長回し、字幕の挿入、カメラに語りかける主役たち、軽快な音楽、アンナ・カリーナ、90分以内のランタイムなど、ゴダール登録商標が盛りだくさんで、この作品こそぼくにとってのThis is ゴダールなのである。ジョン・ウーの作品で2丁拳銃やハトが出るのと一緒といえばいいだろうか。とにかくこれを好きになれるかで、ゴダールを愛せるか愛せないかが分かる作品――――でありながらも踏み絵のようにはなってない。悲劇が多いゴダール作品の中でも幸福感に包まれているのも特徴的。

あらすじは子どもが欲しい女と結婚するまで子どもはいらないという男のドタバタ劇で実にシンプル。アンナ・カリーナ、ブリアリ、ベルモンドの演技と原色飛び交う画面設計が観る者に迫ってくるが、シネスコを意識したのかカメラワークは緩やかで、主人公たちが歌い踊らない音楽のシーンをミュージカル映画のように演出していく。特に主人公たちの心情が字幕になり、しゃれおつなフォントで画面を覆い尽くすという演出が今観ても斬新だ。

ハッキリ言ってこれに政治だとか、言葉の羅列が加わった事でゴダールの作品は中期以降どんどん変わっていく。つまりそういう贅肉を削ぎ落としたシンプルな作品。映画としても最小限の表現をとっているので、制作費もかかってないだろうが、実に楽しい。無茶苦茶なカット割りで素人臭かった『勝手にしやがれ』からここまで映像作家として飛躍したのもすごく、個人的にはこの作品から『気狂いピエロ』までのゴダール作品が今観ても楽しいと思えるところだ。

気狂いピエロ』になると映画として破綻スレスレのところをいくことになるが、『女は女である』は“映画”としてとにかくよく出来ている。芸術だとか、難解という言葉も付きまとうゴダールだが、この作品に限っては純粋な娯楽映画でちっとも難解ではない。だからもしゴダールに興味があるのならば有名な『勝手にしやがれ』や『気狂いピエロ』よりもこっちを断然にお勧めする。初期のゴダールゴダールのすべてでもあるわけだ。大傑作にして、生涯のベスト作。

女は女である HDリマスター版 [DVD]

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