世界一不快になる映画『ファニーゲーム』

ファニーゲーム』をDVDで鑑賞。

オフ会やらなんやらで必ず「不愉快になる映画No.1」と言われ、「観てない」というたびに「観た方がいい」と言われる作品。まぁレンタル屋で見つけられたら観てみようかな程度であんまし真剣に探してなかったのだが、今回たまたま目についたので借りてみた。

ストーリーはほぼない。夏休みか何かを利用して別荘にやってきた家族が白い服を来た二人組の男にいたぶられるだけ。

絵に書いたようなこれぞ一般的!な家族が登場し、その家族が肉体的にも精神的にも徹底的にいたぶられていくわけだが、この過程が衝撃的で、彼らは強盗しに来たわけでも、レイプしに来たわけでも、何か恨み言があるわけでもない。「卵を借りに来ただけなのに邪険に扱われた」という大義名分こそあるが、“ファニーゲーム”というタイトルが示すように、ただ単に気まぐれに彼らをいたぶりに来ただけなのだ。『ダークナイト』のジョーカーを彷彿とさせるが、彼らも神の使いであるかのように、白い服をまとい人間性微塵も感じさせない。

ことの発端となる卵を借りに来る前半の描写がぬかりなく、少し前に「温厚な上司の怒らせ方」というDVDがスマッシュヒットを飛ばしたが、まさにアレのスケール大きい版である。「おい!お前!わざとやってるだろ!え!」と絶対に声を出して言いたくなるくらいで、どんな善人もイライラすること必至。正直、ここだけで観るのをやめようと思ったくらいだ。

監督は最後まで観客を徹底的にもてあそんでいく。作品には異常なほど緩急と静寂があり、ホッとしたと思うと、また拷問が始まり、助かったと思うと、それは前フリでしかなく、その助かった部分をながーくを使うことで、次の陰惨なシーンを際立たせるなど、観ている者の心をズタズタに切り裂いていく。

作品自体は『時計じかけのオレンジ』の作家襲撃シーンを被害者側から描くという感じで、あの映画で作家たちが受けた恐怖を観客はまるまる1時間40分も体験することになる。『時計じかけのオレンジ』では主人公/アレックス側から、ポップでキッチュに描いたことで、暴力への快感を見事なまでに観客に共有させたが、今作ではそれは一切登場しない。

この作品でおもしろいなぁと思ったのは、主人公たちを脅迫する部分である。主人公家族をいたぶりに来た二人組は、別に刃物で彼らを脅してるわけでも、銃を突きつけてるわけでもなく、精神的に逃げられないようにしているだけで、確かに一人は脚をへし折られて動けなくなっているが、それ以外のキャラクターは別に肉体的な拷問をそこまでされているわけではない。映画を見ているとよく分かるが、彼らは逃げようと思えばいくらでも逃げるチャンスがあり、実際逃げるシーンも数回にわたって登場する。この辺のさじ加減が絶妙で新しいと思った。

さらに特徴的なのは「映画内映画」的メタ視点の登場。ゴダールが『勝手にしやがれ』で発明した技法だが、いたぶってる主犯格の一人が執拗にカメラに向かって話しかけてくるというスタイルをとっており、最後の最後では「このまま終わったら、この映画の上映時間が足りなくなるだろう」とまで言ってしまう。あえて映画内に引き込むことなく、このメタ視点を入れることで我々は映画を観ているんだということを強く意識させ、フィクションであることを提示してくる。「この作品にはどこにも救いがない」という感想をよく見かけるが、唯一そこが観客のよりどころであり、このメタ視点を入れたことにより、あくまでこれは“ファニーなゲーム”なんだと思わせることに成功している。

ただ、『時計じかけのオレンジ』を引き合いに出したものの、どうもこの作品からは監督のドヤ顔を感じてしまう。良い意味でも悪い意味でも監督自身がこの映画を不愉快がってはいないため、そのメタ視点とあいまって、突き放し過ぎてる感を感じてしまう。アンソニー・バージェスは妻をレイプされた経験から小説を書いたが、そういった作り手の情念が感じられないため、賛否両論になったのではないかと思われる。

というわけで、『時計じかけのオレンジ』でキューブリックが見せた倫理観の崩壊をさらに押し進めた『ファニーゲーム』は本当にみなさんがおっしゃってるように不愉快になるし、観終わったあともやりきれない気持ちになる。恐いもの見たさなんていう言葉があるが、まぁ出来ることなら観ないことをおすすめしたい。あういぇ。

あ、映画自体は良く出来てると思いますよ。ええ。

ファニーゲーム [DVD]

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