幻の映画『カリフォルニア・ドールズ』を観た

今こうやって思い出しただけで涙腺がゆるみ、胸がじんと熱くなる。ひょっとすると映画史上最も、観客ひとりあたまから大量の涙を搾りとった作品がこれかもしれない。西海岸を舞台にした大らかなスポーツ活劇がどうしてこのようなウェットな感受性に訴えかけてくるのか全然わからないのだが、80年代初頭、アルドリッチという才能はもはや男性アクションとかアメリカ映画とかいった範疇を遥かに越えたところに存在していたのだろう――――――――黒沢清(映画監督)

黒沢清をして「なぜここまでこの作品で感動してしまうのか理由がわからん」と言わしめた幻の映画『カリフォルニア・ドールズ』を観た。

ぼくに言わせれば「なぜ黒沢清がここまでこの映画に感動したのかがわからん」という感じなのだが*1、この作品。実は音楽の権利関係によりDVD化がされておらず、いまやVHSが渋谷のTSUTAYAにしか置いてないとかなんとか言われている幻の作品。とはいえ。好き者はとっとと中古ビデオのワゴンセールなんかで手に入れてるだろうし、こないだもCSで放送されたとか、今年地方でもロードショー展開されたりしていたが、新潟ではビデオ1の赤道店にVHSが置いてあり、観ようと思えば観ることができる(とはいえ、赤道店もVHSが撤退されはじめてるようでいつなくなるかわからない状況。なるべくならこの財産を保有していただきたいというのが新潟の映画ファンの切なる願いである)。

あらすじは女子プロレス版の『ロッキー』という感じで、いわゆる負け犬たちがひとつの試合を通じてある種の“勝利”をつかむまでの物語。

長回しとまではいわないが、わりと長めのカットで映画は構成されており、室内のシーンにおいては舞台劇のような緊張感があるのが演出の最大の特徴で、役者たちもその歯ごたえある演出にこたえるべく、これまでにないくらいの渾身の演技を披露している。特にコロンボの印象が強かったピーター・フォークは、ダーティーワードを連発するだけでなく、早口で声を張り上げるなどイメージにない演技でコロンボとは別人格。基本的に役者の演技には感銘を受けないタチなのだが、今まで観てきた映画のなかでも名演技の部類に入るほどで、彼の演技こそ、この映画のすべてであるといってもいいほど。映画とはアクション(役者の所作、動作も含む)で作られるとはよくいったもので、この作品はその役者たちの肉体の躍動がすべてであり、それをそのまんま活写すれば、エモーショナルになるに決まっているのであった。

基本的に登場人物全員が悪人で、ステレオタイプな善人がひとりも出ず、みんながみんなグレーゾーンであり、その地続きな人間臭さにも好感を持った。最後の最後だってピーター・フォークが敵と同じ……いやそれ以上の悪さをしてクライマックスにもっていくんだから相当なものである。この辺は『レスラー』にも似ているような。

おもしろいなと思ったのはお色気シーンがメタ構造になっているところで、ぼくらが映画に求めるものと彼女たちのお色気プロレスを求める観客の目線が一緒になっているという部分。ある事情で彼女たちはドロレスをやり、上半身裸でファイトを繰り広げるのだけれど、それが物語を推進させる役割を果たしていて、いやだいやだと拒否するシーンからワンカットでドロレスがはじまり、それが軽くギャグとして扱われてるあたりも残酷で、この辺は映画を知りつくした巨匠ロバート・アルドリッチの映画ならではのマジックだといえよう。

スポ根ものに分類されるかもしれないが、映画全体はロードムービー形式であり、ラブストーリーでもあって、ひとくくりのジャンルにはできないほど多面的な魅力にあふれている。

というわけで、昨今の『ローラーガールズ・ダイアリー』あたりが好きな人にはおすすめ。確かに涙を搾り取られるほど感動すること必至の傑作。ニュープリント版まで作られたなら『ナッシュビル』よろしく、なんとかDVD化にこぎつけてほしいものである。

*1:少なくとも彼の作風とはエラい違いである