火星人がトラックの荷台にニトロを乗せて山道をゆっくり走る『ドッペルゲンガー』

黒沢清監督の『ドッペルゲンガー』鑑賞。

ドッペルゲンガー [DVD]

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永作博美演じる由佳は仕事から帰るところに弟の姿を見る。「たかし?何やってんのこんなところで、仕事今終わった。乗ってく?」と声をかけても、弟は手を振るだけで、歩いて行ってしまう「遅くなるなら電話してよ」と、家に帰ってくるが、帰ってきたら、ダラダラとTVを見ている弟がいた。「え?どうやって帰って来たの?だって、さっき、ほらホームセンターに居たじゃない。」すると弟は「え?ホームセンター?何言ってんの?」とまったく覚えがないように言う。「やだ。もしかして人違い?はずかしー」

少し時間が経って、キッチンで料理をしている由佳が映る。その時に電話が鳴る。「たかし?ちょっと電話出てくれる?今手が離せないのー。」何の応答もないので、仕方なく電話に出る由佳。電話の相手は警察だった。そして知らされたのは弟が自殺したという事実。「たかしなら家に居ますけど」言って、たかしを呼びに行くが、部屋には誰も居なかった…

冒頭はあくまでどこを切っても黒沢清としか言いようがないホラーだ。いかにも何かが潜んでいる音楽、そして長回しによる緊張感。「何かが起きるんじゃないか?」というところでプツっとカットを切るあの独特のリズム。うーん。黒沢清だ。というか、ドッペルゲンガーと言えば、自分の分身で、その姿を見た者は死ぬと言われてる例のアレなわけで、映画の冒頭は今までの黒沢清作品の如く、ホラー的な演出を満載したものになっている。

ところが!この『ドッペルゲンガー』はなんとコメディなのだ。観てる側から笑ってしまうブラックなギャグが連打される。今でこそ黒沢清監督と言えば、「難解な映画を撮る」とか「Jホラーの巨匠」なんて呼ばれてたりするが、元々ギャグのセンスは抜群で、それは『勝手にしやがれ!!強奪計画』を観てもらえば分かるのだが、『ドッペルゲンガー』では、そのホラー的な要素を前フリにし、完全なコメディとして振り切っている。ところが、さすがは黒沢清。笑えるんだけど、ちょっと声を上げて爆笑出来ないというか、笑えるんだけど怖いみたいな。黒沢清演出として、人が唐突に殴られて、人が唐突に死ぬというのがあるが、それすらギャグに昇華していて、観てる観客の頭を混乱させる。

黒沢清のインタビューを見ると、『ドッペルゲンガー』はまず、役所広司で1本映画を撮るというのが出発点だったようである。役所広司という役者を使って何か出来ないだろうかというのが映画の芯であって、それは完全に成功しているように思える。役所広司という人がここまで魅力的に描かれた映画は私の中では初めてだ。役所広司の演技がホントに素晴らしくて、彼だけをずっと見続けてられるくらいの魅力がある。

ドッペルゲンガー』にはユニークな元ネタが2本あり、それがうまく映画に使われている。

1本はティム・バートンの『マーズ・アタック!』『ドッペルゲンガー』で役所広司は早崎とその分身の二役を演じているが、その分身は『マーズ・アタック!』の火星人を意識している。実際、黒沢清役所広司に「役所さん、あのー『マーズ・アタック!』ってご覧になりました?」と聞き、役所広司も役作りのために『マーズ・アタック!』を観たとかなんとか(笑)つまり、いたずらに人を殺す感じ。そして次にどうしようかと試行錯誤した結果、1番マズい選択をしてしまうというあの感じを役所広司に出したかったようだ。言われてみると納得で、楽しそうにやってるから笑えて怖いというのは、まさに『マーズ・アタック!』にあった雰囲気である。

そしてもう1本は『恐怖の報酬』だ。ニトログリセリンを積んだトラックを乗せて山道をゆっくり走って、目的地まで行くという観てる側から心臓が止まるようなサスペンスで、実際ニトロは簡単な衝撃で爆破などしないのだが、その映画的なウソが見事にハマった、アンリ=ジョルジュ・クルーゾーの名作中の名作。『ドッペルゲンガー』という設定を思いついた時にどういうストーリーにしようかと考えた結果、黒沢清の頭の中にあったのは“トラックに何かを積んで、それを運転して運ぶ”というプロットだった。映画で運ぶのはニトロではないが、「おい!もっとゆっくり走らせろ!」というこれみよがしなセリフもあって、この設定が、サスペンスを生んでいる。追っ手が迫ってるのに、ゆっくり走るの!?ぎゃー!

ドッペルゲンガー』は黒沢清のすべてが詰まったような映画だ。ジャンル分け不可。怖くて、ハラハラして、笑えて、そして唐突に終わるいつものラスト。永作博美ユースケ・サンタマリアという新鮮なキャスティングも見事で、やはり黒沢清は役者に対する演出がうまい。黒沢清は「ただそこに立ってるだけで、その人はその人にしかならない、オダギリジョーが立ってれば、それはオダギリジョーが立ってるに過ぎないんだ」と語った事があるが、永作博美も「女優として転機になった作品」として『ドッペルゲンガー』を挙げているくらい、とにかく役者陣が魅力的である。

そして、これまたいろんな解釈が出来るように作ってあるが、個人的な解釈は、自分の中に抑圧された好き勝手やるもう1人の自分を見て、早崎は「あ、オレってこんな思い切った事も出来るんじゃん」と再認識した。したんだけど、ドッペルゲンガーを見ると死ぬので、やっぱり最後は……って感じだろうか。実際、早崎よりも分身の方が献身的に早崎に尽くし、さらに女は抱くし、金に対しての関心も尋常じゃない。一方早崎の方は人間的に欠落していて、何を目的に生きてるのか分からない節がある。金にも執着してないし、女の気配すら感じないし、出世欲もないし、これまた観た人によって別れるから、なんとも言えないんすけどね。低予算で早撮りでしかもおもしろいって、もうスピルバーグの領域じゃないっすか!黒沢さん!

個人的に1番好きなシーンは柄本明の最期。これはマジで笑える。ここだけでも絶対に観て欲しい。