ブレードランナーの未来世紀からの受け売り

〈映画の見方〉がわかる本80年代アメリカ映画カルトムービー篇 ブレードランナーの未来世紀 (映画秘宝コレクション)
- 作者: 町山智浩
- 出版社/メーカー: 洋泉社
- 発売日: 2005/12/20
- メディア: 単行本
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ちなみに私(この場合はわたくしと読んでいただきたい)も『ブレラン』が好きである。幾度となく、このブログにも登場してるし、個人的な意見だけをまとめあげたクソみたいなレビューも書いたし、一応全バージョン観てるし、DVDも持ってるし、原作も読んでるし(それでもあんまし覚えてなかったりするけど…)ブレランという文字を雑誌で見つければ、どんな内容であれ買ってしまうくらいだ。
でも、私はみかん星人さんのように映画が公開された時に何度も劇場で見てるわけでもないし(生まれる前だもん!)世間一般のファンみたいに100回以上観てるわけではないし、LDから何から買いそろえてるわけでもないし、それが証拠に竹中直人があのシーンいいねと言ったシーンをまったく覚えてないという体たらくである。
それでもやっぱり『ブレラン』は好きな作品で、SF映画という括りだったら、間違いなくベスト1になりえる作品だ、その前に『ブレラン』をSF映画として括るのはいかがなもんかと思うのもあるのだが。
今回、テレビで竹中直人が『ブレラン』の事を語っていて、親父と『ブレラン』の話になった。親父は『ブレラン』の魅力がよく分かっておらず、なんでロイがデッカードを助けたんだとか、何が2つで充分なんだ?とかいろいろ聞いて来たが、それは私もよくわかってないので、自分なりの解釈で説明してあげた。
んで、『ブレラン』っていうのはホントに奥深くて、ユニコーンの夢が足された事で、動物の夢を見る事が出来ないという風になったり、デッカードよりもロイの方が人間らしく生きてたり、(痛みを感じ、愛を感じ、仕事してるはずのデッカードの方がどっちかというとレプリカントのようだ)物語の構造はハードボイルドで、禁じられた愛もあったり、映像的にもスタイリッシュで、出て来る小道具から街並からすべてがかっこよく、SFとは一言で言えないような中身の濃さがある。
最近『ブレードランナーの未来世紀』という本で知ったのだが、『ブレラン』はポストモダンを体現したような映画で、ポストモダンを語る上では外せない作品であるらしい。私はポストモダンがどーのこーの言われてもよく分からないんだが、つまり『ブレラン』というのは現代思想や哲学にも影響を与えた作品という事になる。
60年代、共産主義が科学に最も適してると言われ、世界はハイスピードで近代化に向けて動いていた。60年代の後半になると、人類が月に行き、高速道路が出来、コンコルドが飛ぶようになる。
68年に『2001年宇宙の旅』が出来ると人々はそれに熱狂した。本当にこのような未来がやってくる事を信じていた。モダンの夢が世界を覆っていったのだ。
だが、70年代になると、それらは夢であると気付かされる。共産主義は崩壊し、科学は自然を破壊するだけのものになっていく。人種差別や資本主義、キリスト、戦争など、ありとあらゆるものにNOと言ったカウンターカルチャーさえも、その答えを見つけられずに現実は混沌としたものになっていくと、
んで、80年代、ポストモダンの時代がやってくる(と言っても、ほぼ死語化してはいるんだが)モダニズムが崩壊してしまったあとでもポストモダン自体はまだもがいていた。モダンにNOと言いつつも、ポストモダンは何かを見つける事が出来なかった。ポストモダンという言葉自体、いや、その定義すら何か分からずに夢や理想の無い混沌とした世界として、一人歩きしていく。
そこに決定打として『ブレラン』が登場するのだ。『ブレラン』の世界は見事にいろんな物が入り交じっている。西洋と東洋、スラムと高層ビル、人間と人造人間、
そして「この先どうなっていくのだろう」という不安や、
「一体これは何なんだ?」というもがき、
何よりも「自分らしく生きるとは何なのか?」という問いかけを人造人間によって知らされる。
本の中で町山智浩氏はポストモダンとは「夢なき時代」だと言っている。人間らしく生きるための共産主義は崩壊し、戦争は無くならず、日本でも貧富の差は激しくなるばかりだ。つまりポストモダンを体現すると夢も理想も希望もへったくれも無い時代になるはずである。
ところが『ブレラン』が映してる映像はすこぶる魅力的でかっこいいのだ現に『ブレラン』っぽい映像(私はサイバーパンク=『ブレラン』っぽい絵という認識)の映画は量産されたし、建築スタイルとしてのポストモダンにも決定的な影響を与えている。
つまり『ブレラン』というのは夢や理想のない世界をカッコ良く見せた作品なのだ。確かに現代は混沌とし、どうなっていくのか分からない。理想国家など夢のまた夢で、税金だって何に使われてるかまったく分からない状況だ。それでも、それでも私たちは人間である限り「夢なき時代」を生き続けなければならない。ポストモダンが夢のない時代ならば、そのポストモダンをカッコ良くし夢にしてみせたのが『ブレラン』なのだ。
ハッキリ言って、これは『ブレラン』が持ってる側面のほんの一部分である。上記のように『ブレラン』はまだまだ魅力的な部分があり、何かに焦点を絞れない作品でもあるのだ。故に『ブレラン』を語る時、人によっても年代によっても、熱くなる部分が異なる。
私はまだブレランのBOX買おうかどうしようか迷ってる迷っていたが、親父に熱く語り、その魅力を再認識してしまったので、思わず1Click購入してしまいましたとさ。
どちくしょー!!!!!!!!これから年末に向けて金がねーよー!!!!