想いが重なり動き出す『叫(さけび)』


「日本の怖いホラーが観たいよぉ」という彼女の要望により黒沢清『叫』を借りて来る。実は黒沢清の映画は大好きなんだけども、全部観てない。何故なら『日本のホラーが観たい』と言われた時に一緒に観たいからだ(笑)黒沢清のホラーは怖いので1人で観れないというのもあるが…あと、オダギリジョー加瀬亮が出てたというのもある。

さて『叫』は良い意味で黒沢清の集大成のような作品。というよりも黒沢清のカラーが実に良く出ている。まず『叫』はあきらかに『回路』と『CURE』を足して2で割った作品。映画としての衝撃は『回路』と『CURE』には勝てないが、抜群の安定感と演出の上手さが光る。

『回路』は「人間ってのは他者と繋がりあえない、死ぬときは孤独である」という事を明確に提示した作品で、『回路』の恐怖は音や幽霊ではなく、他者と繋がり合えない事なのだ。『回路』は最初と最後では映画の主題も軸も全部ガラッと変わる作品で、完成度うんぬんは別にしてもあの終わり方は衝撃的で黒沢清の中でも傑作の部類に入る。

『叫』は簡単に言うとこの『回路』を下敷きにしている。ただし、そこで描かれるのは「繋がり合えない他者」と「一瞬だけでも繋がり合えた事」が生む恐怖だ。自分にとっては繋がり合えない事でも他人にとってはその繋がりが重要になるかもしれない。

黒沢清は「人間は絶対的に孤独なのでしょせんは繋がり合えない」という映画をひたすら作り続けて来た。『アカルイミライ』でクラゲにやられる藤竜也はオダギリとは繋がり合えなかった事のメタファーだし、『CURE』もまったくの他人同士が殺人によって繋ってしまうという事を描いてるし、『ニンゲン合格』はそのストーリー自体が繋がりをメインにしていた。今回の『叫』もその繋がるという部分がストーリーを大部分を占めている。

『叫』では様々な恐怖が合体している。

まず、自分はもしかしたら知らない間に殺人を犯してるのではないか?という恐怖。

次に幽霊に取り憑かれてる恐怖。

さらに自分が知らない間に他人と繋がっていて、それが理不尽に近い形で怨みになってる恐怖。

そして、皆殺しだぁぁぁ!という恐怖(笑)

主人公が殺人を犯してるかもしれない…という恐怖は実は後半の伏線になってるし、あまり細かい事が書けないのが困りモンだが、とにもかくにも何処を切っても黒沢清な映画である事は確かだ。ラストもあまりの衝撃に「うおー」っと声出たし。

そして、『叫』を観て言える事は黒沢清ってやっぱり上手いねって事。とにもかくにも『叫』には今の日本映画の監督が盗まなければならない部分がたくさんある。まず、長回しとロングショットの組み合わせ。これは単純にこれから何かが起こるという緊張を生む。元々はゴダールの『男と女のいる舗道』なのだけれど、これをもっともっと突き詰めたのが黒沢清だ。特に『叫』は役者の顔が分からない程遠くから演技を撮る。さらにそれを長回しにする。これは単純に怖いし、何が起こるか分からない緊張感がある。そりゃそうだ。カット割りすれば、何かが起こる前のカットは前フリになってしまうのだから。

それだけじゃなく、クローズアップの使い方も、遠くから物を映して、主人公が「あれなんだろう?」と思ったところにクローズアップさせて分からせるなど、本当に基本中の基本という感じで使う。というか、今の監督がこの当たり前の演出を出来てないだけなんだけど(笑)

後半のジャンプカットも間延びさせないために有効に使われているし、主人公が“もしかしたら自分は殺人に関与してなかったんじゃないか?”と安心と不安が同時に起こったとたんに、カメラが手持ちになってグラグラ揺れたり、単純で基本中の基本なんだけど、それが素晴しい。犯人を追いつめてから、飛び降りるまでワンショットだったり映像はとにかくピカイチ。効果音を拡張させた音楽もキャスティングもCGも見事。飛び抜けた感動はないが、抜群の安定感。傑作です。

『カリスマ』『大いなる幻影』『ドッペルゲンガー』『降霊』『LOFT』も観なきゃ。あういぇ。

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