黒沢清の真骨頂『クリーピー 偽りの隣人』

クリーピー 偽りの隣人』をAmazonプライムにて鑑賞。しかし、映画のタイトルバックでは『クリーピー』表記なのに、なぜ公開されると山崎貴の映画のようなわけわからんサブタイトルがついているのか?まったく必要ない。
f:id:katokitiz:20181108194407j:plain
『CURE』からはじまり『回路』や『トウキョウソナタ』など、黒沢清は「例え家族だとしても人間は他者と決して繋がり合うことができず、それでいて孤独を恐れる生き物である」ということを繰り返し描いてきたが、今作『クリーピー』ではそのテーマの集大成ともいえる内容であり、そのものずばり家族と他者について“疑似家族”というガジェットをつかい紡いでいく。

冒頭から「この男、ノリノリである」といった具合で景気よく人がどんどこ死んでいき、中盤はそれをあえて見せないというシーンを作ることで恐怖を煽っていく。『CURE』以来のサイコホラーなのにもかかわらず、そのスケールは半径数メートルの間でおさまり、終末感はまるでなく、むしろ閉塞感と共に、とてもミニマムな仕上がり。

その恐怖を一手に担ったのが香川照之。『贖罪』もすばらしかったが、少々やりすぎるくらいのサイコパス演技が絶品であり、噛み合わない会話とみょうちくりんな敬語のコンボで「明らかにこいつおかしい……」と観る人全員に思わせることに成功。逆に『ニンゲン合格』以来、黒沢とタッグを組む西島秀俊は抑えに抑えた朴訥な演技で香川を迎え撃つ。徐々に精神が崩壊していく妻というのも『CURE』で登場させているが、今作ではその役を竹内結子が好演。「え?なんで急にそんなこと言い出すの?」と思ったところが前フリで、後半にそれが活きてくるという仕組みだ。

あえてだろうが、すべてを描かないため、一部キャラクターの考えてることや行動原理に納得がいかなかったりする部分もまぁあるし、ちょっといくらなんでも偶然がすぎやしないかと思わなくもない。もっといえばモデルにした「北九州監禁殺人事件」を映画がこえてくれないというのは致命的ともいえるが、その不確定な部分も含めて、楽しめること請け合いの作品。オレは『CURE』以来これを待っていた!と声を大にして言いたい傑作。