ラスト、コーション

ラスト、コーション [DVD]

ラスト、コーション [DVD]

ラスト、コーション』鑑賞。アン・リー監督による上海の『ブラックブック』という感じ。第二次世界大戦中、日本に占領された上海を舞台に抗日組織を弾圧するトニー・レオンを“非国民”だとし、暗殺を企てる女工作員とそのトニー・レオンの恋愛を描いた作品。

敵対する者同士、相手の事を殺そうとしている者同士に恋愛が芽生えるという点、そして暗殺を成功させるために女の魅力に頼るという意味で、ヴァーホーヴェンの『ブラックブック』に似ているが、死体の山を見て来たヴァーホーヴェンが血なまぐさく演出したのに対し、アン・リーは超絶に美しい映像と完璧な美術と衣装で、第二次世界大戦下の上海と香港を完璧に再現。映画はクソだったが、驚異的に美しい映像だった『赤い月』のように全体的に色は抑えられ、美しい中にもリアリティがある。徹底的に暗殺を企てる若者達からの目線から描かれ、トニー・レオンがどこまで関与し、何をしているのかは一切明かされないというのも徹底している。

さて、巷でも話題になってる通り『ラスト、コーション』は激しい性描写で話題になった作品だ。日本でもR-18で公開されたくらいだが、確かに、『ラスト、コーション』の性描写は無茶苦茶リアルで生々しい。美しく幻想的に描かれがちなセックスではなく『チョコレート』や『9ソングス』のように、互いの肉体をむさぼるようなセックスが続いて行く。しかもDVDではぼかしもほとんどなく、ホントにセックスしてるんじゃねぇか?と思うほどにリアル。しかもありえねーような体位まで出て来て、もうおじちゃんは困ったちゃんになってしまった。もちろんいい意味でだが。

こういうセックス描写がハッキリ映し出される映画が公開された時に“過激な性描写が”とコピーが付いたりするが、ぼくはそれにはいつも納得がいかない。マイケル・ウィンターボトムもインタビューで答えていたが、スクリーンの中で展開されてる事は過激ではなく、至って普通の事、男女がセックスをしているだけなのである。何故それがハッキリと映し出されるだけで過激な事になるのだろうか。

ブラウン・バニー』のフェラチオシーンの時も思ったのだが、あれだけ美しく、あれだけ緩やかな時間が流れた映画の中で(だからこそつまんねー映画だったのだが)あのフェラチオシーンは確かに強烈だが、冷静になって考えてみると、あれくらいの事は誰だってしているわけで、あえて映画ではああいったシーンは映さないようにしている節がある。人を殺す瞬間を映さないみたいなもんなんだろうが、ああいう映画になると、わいせつだ!ポルノだ!と騒ぎ立てるおっさんが居るんだから困ったもんである。もちろん堂々と芸術だ!とえばられても困るんだが。別にそこまでぎゃーぎゃー言うほどの事ではないと思うなぁ。

百万円と苦虫女』を観た時に、すごーく恥ずかしくなってしまったシーンがあって、それは蒼井優森山未來の告白シーンのくだりなのだが、ああいうのを観ると、自分が告白した事をどこかで見られてしまったかのような気恥ずかしさがある。『アレックス』でのモニカ・ベルッチヴァンサン・カッセルの裸のシーンもそうだし、『9ソングス』のセックスシーンもそうだ。過激とか、それ以前に「やっぱりみんな同じような事するんじゃん」という部分と「客観的に見るとこんな事してんのか」という恥ずかしさがある。

それは映画の演出としてすごくリアリティがあるという事だ。逆に完璧なライティングの中で踊るようにセックスシーンを撮ってもリアルじゃなく、別なものになってる気がする。幻想的すぎて、そこまでキレイなもんじゃないだろ!と思ってしまうのだ。本当にセックスしている感はそこでは出てない。ジョン・ウーがスローモーションを駆使してバイオレンスを撮ると別なものになってしまうかのような感じがセックスシーンにもあるのだ。

話がずれてしまったが『ラスト、コーション』はセックスシーン以外が非常に美しく撮られ、人が殺されるシーンも一カ所しかなく、あえて、セックスシーンをリアルに生々しく描く事で、物語に説得力を持たせている。「いくら相手を殺そうとしていても、ここまで激しい感じさせてくれるセックスをしてしまったら、もう離れらんねぇだろうなぁ」という風に思ってしまう。

アン・リーは説明的なセリフを排除して役者の表情で感情の揺らぎを表現するが、それは『ラスト、コーション』で有効に使われており、それぞれのキャラクターの思惑が喋ってる事とは裏腹だったりするシーンもあって、この辺は非常にうまいと思う。

という事で『ブロークバック・マウンテン』で肝心なセックスシーンを全部削ったアン・リーが公開時にカットされまくるほどに激しく演出した『ラスト、コーション』はおすすめ。もちろんそれが映画として意味のある事になってるので、素晴らしい。あういぇ。