『どろろ』よりはまだマシな『MW(ムウ)』


http://d.hatena.ne.jp/katokitiz/20090624/1245836935

一応こちら↑の続きという事で。

試写会で『MW(ムウ)』を観た。『どろろ』が映画化された時、出来上がった作品を観て、何故『どろろ』を映画化しようと思ったのか理解が出来なかった。映画の『どろろ』には反戦の要素や、野心のためなら我が子の運命はどうなっても構わないという人間の理不尽な傲慢さの要素も明らかに薄かったし、何よりもどろろという泥棒が女の子なのに男のふりをしているというのも最初から柴崎コウに演じさせたら意味ないと思った。作品のテーマというか、根幹を成す部分を削ってしまったら、それはそれは骨の無い、薄っぺらいものになる。ならば映像化する意味などない。逆に言えば、その重要なテーマを共有していれば、原作と違っていてもファンは絶対に納得するはずである。

『MW』は『どろろ』より幾分マシになっているが、それでも根幹を成すありとあらゆるものが削られてしまっている。特にモラルが欠如した純粋悪の結城がいわゆるただのテロリストに成り下がってしまったのはやはりいただけない。というよりも、ホントにちっとも怖いキャラクターになってない。他にもいろいろ無くなってしまったのがストーリーに大きな影響を与えてしまっている。

まず、セックスと男色が無くなってしまった事で、会社の上層部やら政治、アメリカ軍に取り入る部分が一切無くなってしまった。結城は金や暴力でなく、セックスの力でどんどん成り上がって行く。これは『人間昆虫記』にもあった、非常に手塚治虫らしい部分だが、丸々カットされてしまった。

セックスが無くなった事で致命的なのは賀来との関係性である。唯一結城を止められるかもしれない神父の賀来は結城との男色に狂ってしまっており、そのせいで結城を止める事が出来ない。さらに賀来は男色が禁止されているキリスト教への信仰も揺らいでいる。『スターウォーズ』でもダークサイドの方が強いんだと言っているように、神は信じないと救ってはくれないけど、悪魔というのは人の心に常に居るという様なこの設定がとにかく素晴らしく、しかも止められない理由が、金でもなく、脅迫されてるわけでもない、純粋にセックスによるものだというところが重要なのだ。なのにも関わらず、映画はこの部分も丸々カットしてしまった。なので、賀来のキャラはハッキリ言えば必要ない。

さらに女装するシーンが無いので、それでとんでもないトリックを使う事も無くなってしまった。歌舞伎役者の兄が居るという設定も無いのでラストも捻りが無い。言ってしまえば、ホントに『MW』に無くてはならない狂った要素が映画には一つも見当たらないのである。

これはいろんな人が指摘する前に作り手が一番分かってる事だろう。どんなに頭の悪い人であっても、上記の要素が無ければ『MW』が成立しない事は一目瞭然だ。

ではなぜこんな事になってしまったのか?

ここからはぼくの妄想の話なのだが、恐らく企画の段階であったのは『MW』を映像化しよう!という事ではなくて、玉木宏山田孝之を使う事、それから手塚治虫生誕80周年に絡めて金を稼ぐという事だったのではないだろうか?この二人と手塚治虫でさらにある程度のスケール感もあって、現代劇で、SFでもない作品。確かにそう考えると『MW』がしっくり来る。まず玉木宏と原作の結城は驚くほど似ているし、神父の賀来は結城のパートナーだから山田孝之を配置する事も出来る。

手塚作品で玉木と山田がうまく機能するのは『MW』しかない、よし、映画用にシナリオを作らなければ。ところが、この『MW』は禁断の問題作と銘打っただけあって、男色もセックスもふんだんにあり、さらに大量殺戮のシーンはあるわ、レイプするわ、とんでもない本である事が分かった。スポンサーはこれをまるまるやったんでは一般のお客さんにアピール出来ないと判断した。なので、スポンサーはセックスと男色とレイプ、大量殺戮などを無くす事に決めた。

脚本家に『MW』をシナリオ化して欲しいという打診が来る。ただし、セックスや男色、大量殺戮は抜いてくれという条件付き。脚本家はさすがにそれでは『MW』の意味が無いと思った。脚本家はプロデューサーに「セックスや男色は抜くんで、せめて、大量殺戮の要素は加えさせてください」と懇願した。プロデューサーはなんとかスポンサーを説得し、脚本家はシナリオを完成させる。。。。

なんで、このような妄想になるのかというと、そうしないと『MW』があんな体たらくになるはずがないからであって、『MW』を映像化するんだ!!という情熱が無ければ、セックスとバイオレンスは抜くはずがない。別にセックスそのものを見せなくても、ベッドインする直前でシーンを変えれば済むはずなのに、それすらしないとは観客をバカにしすぎている気がする。セックスとバイオレンスと政治という一般的に受けないような『ウォッチメン』を、ヒットするしない関係なく、まるまる原作通りにやったザック・スナイダーを少しは見習って欲しいものだ。

ただ、セックスや男色を抜いても、かろうじて『MW』っぽい仕上がりにはなっている、それには驚いた。あくまで「っぽい」仕上がりなので、『MW』ではないのだけれど。さらにピカレスクロマンとして、主人公が悪の限りを尽くすという意味では『デスノート』を彷彿とさせる内容になっていた、と思ったら、脚本家は同じだったか。

PG-12に指定されているだけあって、暴力描写はなかなかよい。玉木宏も原作から抜け出したような完璧なはまり役。言っても魅力はそれだけ。しかも原作よりも映画版は明らかにスケールダウンしている。

てなわけで、映画の重要な部分を抜いてしまった事でなんとも薄味な仕上がりになった『MW』

映画にそういう奥深さを求めない人にとっては上質のエンターテインメントになっている、、、、はずである。あういぇ。


書いてから発見したニュース
http://www.cinematoday.jp/page/N0018676

映画では漫画に表現される性的な部分などはあまりにも過激であるため、社会的な配慮から表現をかなり抑えている。漫画とくらべるとかなりソフトに表現しているが、それは編集後のこと。編集前のフィルムにはしっかりとそれらの過激シーンが残されている。

ホントだな!!絶対だな!!玉木宏はインタビューで、

例えば山田孝之君が演じる賀来神父と結城の関係描写などはにおわせる程度になっていて、

って言ってるけど、ホントに編集前にはあるんだな!!絶対にDVDには入れろよ!!


関連記事:http://d.hatena.ne.jp/doy/20090625#p1

↑doyさんの鋭い指摘。

結城が殺戮を繰り返す理由は一見「事件を葬った国家に対する復讐」にも見えるけど、それはきっかけに過ぎなくて「どーせ死ぬんだったら、世界中の人間を巻き添えにしちゃえ」という極めて子供っぽい理屈から生まれた妄想に過ぎない。

ぼくは国家に復讐する物語だと思い込んでいて、それで以前書いたモノにもそうやって書いたんですけど、原作を読み直したら、doyさんの言う通りだった、、、、

い、いや、映画を観てね、刷り込まれたんですよ、、、あははは、、、