ウォッチメン


10時半より『ウォッチメン』鑑賞。かなり賛否両論になっているが、私は支持派。というか、ぶっちゃけ、1秒たりとも飽きなかったし、言えば、何の不服も無い完璧な映画になってた。2時間40分あっても短く感じたくらいだったので、DVDに収録されると噂の3時間半バージョンが早く観たい。ここまで完璧に仕上がっていると、延々この映像を見続けても飽きない気がする。むしろ、『ウォッチメン』に洗脳されたい。好きな曲は何度聞いても飽きないが、『ウォッチメン』も私にとってはそういう映画だと言う事だ。

コミックを実写化した映画の中で、個人的に『シン・シティ』は衝撃的だった。「マンガ自体がおもしろいんだから、コマ割りから、人間から、背景から、何から、ぜーんぶマンガと同じにすればおもしろい映画になるに決まってんじゃん」という、誰かが考えそうで考えつかなかった事をロバート・ロドリゲスは成し遂げた。酷評もされていたが、私は5回以上観ており、その映像表現にしびれた。原作自体、かなり実験的な要素を含んだコミックだったので、映画も実験的というか、歪なものになっているのは否めないが、好きなマンガを何度も読むというのと同じ感覚で『シン・シティ』は何度も観ている。

そして、コミックを映画に移し替えるという事を完璧に成し遂げた監督がその後に現れる。それが『ウォッチメン』の監督であるザック・スナイダーだ。前作の『300』は1コマを1ページで表現したキメ絵が連発されるグラフィック・ノベルで普通のコミックブックと形態は違ったものの、コミックに出てくるキメ絵をぜーんぶザック・スナイダーは再現し、役者のメイクや肉体までマンガに近づけるという作業を試みた。スローモーションを駆使して、コマからコマに読み進めるスピードを調整、もちろん原作に無かった要素として、生々しいセックス描写とウルトラバイオレンスがあり、特にバイオレンスは原作の時点で血なまぐさかったのに、映画では、血の量が増え、さらに首チョンパから手足がちぎれるなどの描写をありがたいくらい足している。

ウォッチメン』の話に戻るが、今回、ザック・スナイダーは原作コミックをそのまんま移し替え、さらに暴力とエロの要素を増やすという、『300』と変わらない方法で映像化した。特にコメディアンの葬儀の部分は原作を完コピしてしまってるから驚く。『ウォッチメン』の熱狂的なファンからもブーイングが出ないように、かなり細心の注意を払って、新聞記事から街の落書き、看板の文字から全部丸々移し替えるような事までしている。その完璧な再現のせいで役者にスターは居なくなってしまったが、原作コミックのイメージを壊さないようにするという意味では無名に近い役者を使ったのは正解だったのかもしれない。ミニッツメンの面々はもう原作から抜け出して来たかのようで、特にキーラ・ナイトレイナタリー・ポートマンを足して、ちょっとぽっちゃりさせたようなシルク・スペクター二世は原作以上にかわいく、ハッキリ言って惚れた。

『300』ではスローモーションを駆使して“コミックを読んでる感”を演出したが、『ウォッチメン』はワンカットの秒数を3〜5秒にして、それを連続してみせるという編集にした。これは1ページが1コマだった『300』に対し、『ウォッチメン』は1ページ、9コマのコミックという違いによって生まれた手法だろう。『ウォッチメン』の原作はかなり規則性のあるコマ割りになっていて、ここが日本のマンガとの大きな違いなのだが、その規則性がロールシャッハのくだりなどにも有効に使われていて、意味のあるきっちりしたコマ割りになっている。映画もここをしっかりと踏襲し、かなり規則性のある、きっちりしたカット割りになっていた。特に会話のシーン、動きの無いシーンはこの規則性をかなり守ってるように思えた。そういう意味でもザック・スナイダーは今回も原作に忠実に作っていると言っていいだろう。

さて、原作に忠実な『ウォッチメン』だが、ホントに私の個人的な感想を言うと、そこまで原作に忠実か?とも思う。言ってしまえば、ちゃんとザック・スナイダーが監督した意味のある、彼の作品になっていると思う。ディランの『時代は変る』に乗せて、アメリカの歴史にヒーローがどのように関わって来たのかを見事に表現したタイトルバックもそうだが、ザック・スナイダーが撮った意味のある部分はアクション、動きの演出だ。

ウォッチメン』の原作は規則性のコマ割りを守り続けたため、アクションの演出に“動き”がない。日本のマンガに影響を受けたフランク・ミラーとはここが違う。同じアメコミルネッサンスの『ダークナイト・リターンズ』は政治的な要素が強い会話のシーンは規則性のあるコマ割りだが、アクションシーンになると、日本のマンガの手法であるタチキリを駆使して、動きのある迫力のアクションシーンを作り上げている。『ウォッチメン』の規則性のコマ割りは、コミックでしか表現出来ない文学的な演出というアラン・ムーアのメッセージなのかもしれないが、この“動き”の無かった原作にザック・スナイダーは過剰なまでに動きを付けて、映画に緩急を付けた。

ウォッチメン』の原作は見せ場が少なく、1つのコマに出来る限り情報を詰め込むという、コミックでしか出来ない表現を突き詰めている。だから映画化は今まで不可能とされてきたんだと思うが、この少ない見せ場を長く、しっかりと動きを付けて演出したために、原作以上にアクションシーンは盛り上がる。

オジマンディアスが襲われるシーンや冒頭のコメディアン殺害のシーンはアクションが4割増しで、クライマックスの格闘シーンも、原作と大分違う。ベトナム戦争のシーンもかなり長くなっていて、しかも人体が爆発して、肉片が飛び散るという事もしているし、爆破した人間の肉片と内蔵が天井に張り付いてブラブラするカットもわざわざ入れてたりしている。骨が折れれば、肉から骨が突き出して、殴られたら血がビュービュー出るし、手がチェーンソーで切られたり、ほっぺたを噛みちぎったり、とにかく人が殺される、痛めつけられるという描写は今までのザック・スナイダーの作品の中で特出してるかもしれない。

ナイトオウルの乗るマシーンが動き出すのも原作より派手になっているし、ロールシャッハが移動するシーンはかなり原作よりも克明に描いている。細部に渡って原作を再現する一方で、映画化した時に退屈するであろうシーンは全部ザック・スナイダーの手によって変えられているのだ。

変えられたと言えば、オチ。オチが原作と映画では全然意味の違うものになっていて、オチは映画の方が好きだ。あのオチだったら、Dr.マンハッタンの中盤のシーンにも意味が出てくるし、冒頭の伏線も効いてくる。

というわけで、『WATCHMEN』が動いてるっ!という感動だけでなく、血も人体破壊もセックス(そういやぁ、あのセックスシーンは『300』とかなり似てたなぁ)も足され、さらに原作の要素もきっちり抑え、出てくるヒーローが人間的に欠落しているという部分を全面に押し出した、ダーティーで暗ーい『ウォッチメン』はやっぱりコミック同様、革新的な映画になってたと思う。とりあえず何度も観たい。観たいなぁ。あういぇ。

WATCHMEN ウォッチメン Official Film Guide (ShoPro Books)

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300(スリーハンドレッド) (Shopro world comics)

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