オレ、ドラゴンボールとスーパーマンって似てると思うんだよ!『マン・オブ・スティール』

『マン・オブ・スティール』を2Dの字幕版で鑑賞。

ダークナイト』はコミックの『ロング・ハロウィーン』を下敷きに、ダークでリアルな犯罪劇の“バットマン”をやるという方向性で大ヒットしたエポックメイクな作品だが、今回おなじような企画で『スーパーマン』を『マン・オブ・スティール』として再リブート。

制作はクリストファー・ノーラン。監督は『300』『ウォッチメン』と、映画化困難な原作をたぐいまれなるセンスでいずれも傑作にしたてあげたザック・スナイダー。そのアナウンスがあったとき、なんでノーラン自らメガホンを取らないのだろうと思ったが、よくよく考えたらノーランは「バットマン」を『ヒート』のように撮る監督であり、CGをつかわずトラックを道路の真ん中で本当に横転させるなど、モノホン志向がお強いお方だ。

そこへいくとビュンビュン空を飛び、目からビームを出すなど、文字通りの超人的なパワーで戦うスーパーマンを題材にするなら、CGをつかって空間が歪むほどのモーション感覚でキメ絵を連発し、ある程度のリアリティ(説得力みたいなもの)をもたせるザック・スナイダーのほうが適任かもしれない。

企画が立ち上がり、監督が決まるまで紆余曲折あったようだが、実際この采配は的中しているように思う。

87年に同名のコミックが出ており、そちらのほうはアダルト層に向けたスーパーマンとしてアメコミルネサンス期を代表する傑作といわれている。日本では96年に小学館から邦訳されたものが発売されており、そちらの第一週分のみを読んだが、生い立ちやクラーク・ケントが地球に来た経緯こそ同じように語られるものの、基本的にはタイトルだけ拝借し、中身はまるで別物。

クリプトン星のハイパーでゴージャスな映像や、ザラついた昔ながらのフィルム感は『ウォッチメン』を彷彿とさせ、中盤あたりになると、もはや“スーパーマン”とか関係なく「スーパーマンをモデルにしたようなヒーローの映画化」といっても差し支えないくらい暗く、重々しい。自分が何者かを探すための旅にでており、各地でその日暮らしをしているのだが、酒場でケンカを売られ、ビールを頭からかけられるスーパーマンなど誰が想像しただろうか。

その誕生から、地球での初登場シーンと要所要所に飽きさせない見せ場を用意しているが、なんといっても『マン・オブ・スティール』がスゴかったのは後半の大大大バトルシーンである。

すでにいろんな人がTwitter、ブログ等で騒いでいるが、まぁこれがホントにすごかった。巨大なビルが破壊されて……とか、超人的な力を持つ者のなにがし……というのはハリウッドの得意分野だと思うが、そのなかでひとつ突き抜けた映像表現がついにでてきたという感じだ。「誰も見たことがない映像」というキャッチコピーがあるが、技術の進化によってどんな映像でも実写で再現できるようになったこの昨今。最終的には観客の度肝をぬく映像を作るのは監督のセンスであり、それをマジマジと見せつけられたようだった。誰も見たことがない映像はかつて見たことがある映像を越えることなのである。

都市破壊描写は911を下敷きに「映画で現実をふたたび越えてやるんだ!」という意志が伝わるし、何よりも得意の超スローモーションを封印し、いったい何が起こってるか?をニュース映像のように作りあげ、徹底してスピード感だけを追及したのは新境地。

クローバーフィールド」も「クロニクル」も度肝抜かれたし、映画の出来は別にして「トランスフォーマー」も「こんな映像見たことない」って思ったし、スピルバーグの「宇宙戦争」にも興奮したが『マン・オブ・スティール』はそれらの遥か上をいっていた――――と書くと、それ以前の映画にたいして思い入れもあるので申し訳ないが、もしかしたらこれからこの手の表現はこの作品が基準になるかもしれないというくらいの衝撃度であった。

あと『マン・オブ・スティール』でおもしろかったのはステゴロ勝負を『ドラゴンボール』のように演出していたというところ。

この辺はいくら生まじめに撮ったところでザック・スナイダーのオタク感がにじみ出てるなぁとほほえましくなったが、ただ、改めて『マン・オブ・スティール』という形で“スーパーマン”という物語をみてみると『ドラゴンボール』と似ているところがあり、もしかしたら鳥山明は『ドラゴンボール』を長く連載するにあたって(引き延ばすにあたって)、かなり参考にしてるんじゃないかと勘ぐってしまったくらいだ。

孫悟空とスーパーマンの共通点 - アニメ・声優 解決済み| 【OKWAVE】

すでにこちらで指摘されており、アンサーでボロカスに叩かれているが、孫悟空と名付けられた少年が実はサイヤ人という戦闘民族で、カカロットという別名があったり、理由は違えどフリーザによって故郷の惑星が消滅させられていたり、地球人という立場で同民族と戦うことになったり、鋼鉄の体こそないが、軽く車を持ち上げるくらいのパワーや舞空術で空を飛ぶなど(後に息子の孫悟飯は謎のスーパーヒーローとして変装し自警活動をするというエピソードがある)、意外と共通点は多い。

そもそも「神という父が子を地上に送る」というスーパーマンの設定はキリストがモチーフになってるわけだが、死の寸前から復活を遂げるとパワーアップしたり、最終的にはあの世とこの世をいったりきたりする悟空も同じようにキリスト――――いや「神」のような存在になっていく。彼のライバルとなるベジータは悪の心しか持ち合わせておらず、これもサタンとの関係性とかぶる。

もしかしたらザック・スナイダーも「ドラゴンボールってさぁスーパーマンっぽくねぇ?」なんて会話をビール片手にパブでしていたのかもしれない。そして『ドラゴンボール』の実写化に対しておおいに不満を持っていた彼はスーパーマンをリブートする際、おれが思う「ドラゴンボール」の実写版をぶちこんだ――――――――とこれは完全に深読みだが、それくらいのオマージュ、本気度を感じる再現力でとてつもなく感動した。あとはレーザー光線の音が『スターウォーズ』っぽかったり、親父が『THX-1138』的な目覚めをしたりとルーカスへの目配せもあったのだが、まぁその辺のことは専門家に任せることにする。

というわけで、この『マン・オブ・スティール』。わりと冷ややかな感想も目立つが、ぼくと同じようなテンションで暗黒皇帝さまも鑑賞しており、そういったある一定の層には響くこと間違いないので、賛否両論あれど、やはりスクリーンで観ることをおすすめしたい。『パシフィック・リム』にも相当感銘を受けたが、夏の終わり(もう9月だけど公開日は8月30日)にとんでもないモンスター級の作品がやってきて映画ファンとしては嬉しいかぎりである。

2013-09-02 - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ

その暗黒皇帝による熱のこもったレビュー。基本的にはここで書かれてることに完全同意。