『プレシャス』みたいな映画が日本で作られたら……

『プレシャス』鑑賞。日曜の昼にお蔵入りになったドラマが放送されるがごとく、今更感想アップなのだ。すいません。本当にすいません。

このブログを読んでいただいてる方は薄々感づいてたと思うが、基本的にぼくは映画を観て「つまんねー」って思うことがほとんどない。基本的にスクリーンで映画が観れれば満足するタチである。あと頭が悪いため、基本的に予告編を観て、気になった映画はスクリーンで観たい!と思ってしまうので、地雷を踏んだとしても、はなからこの映画のことをけなそうと思って観ているわけではない。例えそれが地雷だったとしても世間の評判関係なく、自分の目で確認しないと気が済まないのだ。実際、ワースト作品として名高い『インディ4』なんかはかなり好きだったりするし。みんなが死ぬほど嫌いな映画も何気に劇場で観た後にDVDで買ってたりする。スクリーンで映画を観るということは一期一会だし、他の人はつまらないと思っても、どの映画を観てもおもしろいと思ってしまう自分にとっては良い映画である可能性の方が高い。


そんなぼくが唯一ホントに嫌いだわと思ってた映画が、是枝監督の『幻の光』と『ワンダフルライフ』で、この二本を観てからこの監督の映画は二度と観るまい!と思っていた。『空気人形』はペ・ドゥナが出てるってことでさすがに観たのだが、これが傑作だったので、じゃあと思って遅ればせながら、有名な『誰も知らない』をこないだDVDでやっと観たのだった。


前フリが長くなったが、『プレシャス』はこの『誰も知らない』を彷彿とさせる作品だった。『誰も知らない』にかけて『何も知らない』という邦題でもいいくらいだ。

貧困層に生まれ、父親にレイプされて妊娠し、さらに母親から虐待を受けるプレシャスの過酷な過酷な物語で、救いがないんだけど、それでも生きていかなければならないみたいな終わり方までかなり似ている。主役が無名の人というのも似ていて、しかもこれが映画の決定的な魅力になっているところも一緒である。

決まりに決まってるキャスティングもさることながら、ドキュメンタリー調のカメラがやはり素晴らしい。ダルデンヌ風味と思わせといて、意外とカッチリした画作りというところに、奇を衒ってるだけの手法じゃないんだという作り手の意志を感じる。

徹底的にヒドい設定はアメリカの貧困層を一手に背負ってるようなところがあるが、それでも希望に満ち満ちてるというか、これはぼくの受け取り方が間違ってるのかもしれないけれど、ジブリのキャッチコピーを借りるとすれば「おちこんだりもしたけれど、私はげんきです」という感じ。

というか、もしこれ日本でリメイクというか「父親にレイプされて、妊娠した女の子が………」という似たような題材が作られたら、どうなってしまうのだろうか?

間違いなく、含みを持たせたラストにはせずに、プレシャスの最後の最後までクドクド長々と見せるだろうし、説明的なセリフがベラベラと並んで、リアリティは欠如するだろう。まず主人公はちょーかわいいモデルあがりのような女優になってしまうだろうし、無駄にイケメンが配置されるはずである。物語のキモになるはずのレイプシーンは見せずにしれーっと終わるだろうし、クライマックスでは仰々しい感動的な音楽がかかり、トドメには映画にそぐわない「会いたい」が連発されるようなJ-popが流れる…………

そこへ行くと、いろんな問題があるにせよ、ここまでの作品が作られて、公開されて、なおかつ支持までされるアメリカ映画の懐の広さには心底感動してしまう。

というわけで、決して規模は大きくないが、役者の演技とそれを映すカメラを通して、深い感動を生む『プレシャス』は当然の如くおすすめ。まだ、劇場でかかってるところがあれば、是非かけつけていただきたいと思うのであった、あういぇ。