ネタバレ感想文:もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら

もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』をみんなが忘れた頃に鑑賞。平日の朝一だったとはいえ、客はなんと、ぼくひとりであった。

言わずと知れた『もしドラ』の映画化。

病に倒れた親友/高校野球部のマネージャーのために、前田敦子が弱小野球部を甲子園に連れて行こうとするというのが主なあらすじ。野球のことを勉強しようと、専門書を買いに行ったら、店員の勘違いからドラッカーの『マネジメント』を渡され、その本に書いてあることを野球に当てはめていったらどうなるか?というのが物語を牽引する重要なファクターになる。

さて『もしドラ』は「映画」と呼ぶには「映画」に対して失礼極まりないほど出来が悪い。こういうことをしてはいけませんという見本のようなものが二時間続いていくといっても過言ではない。

まず物語の発端部分である、ドラッカーの『マネジメント』を野球のマネージャー業務に当てはめようとする部分に異様なほど説得力がない。

主人公のあっちゃんは本屋に行って、「マネージャーになりたいんですけど!何か専門書はありますか?」と店員に詰め寄ると、店員が経営のマネージャーと勘違いしてしまい、ドラッカーの『マネジメント』を渡される。まずこの時点で「野球部のマネージャーになりたいんで!それに関する本を教えてください!」と言わなければいけないのに、ドラッカーを渡すためのエクスキューズのせいで、言葉がたりてないのだが……とりあえずそれは置いておこう。

帰って来てその本を読むと、野球のマネージャーになるための本でないことが分かり落胆するというシーンがとっかかりとしてあるのだが、まず本屋で中身も確認せずに買って帰ってくるという行動がよくわからない。

それに「この本違うじゃん!」と気付いたら、店員に「野球のマネージャーのことなんですけど……」と再び聞くのが一般的な行動で、一番キーになるはずのドラッカーの『マネジメント』という本でなければならない決定的な「理由*1」が抜け落ちてるため、なぜ前田敦子が『マネジメント』に固執するのかがまったくもって分からないのである。一応後で「ドラッカーさんの顔を見てピンと来た」というが、その思いつきだけで突っ走ってしまうのはいかがなものかと……

顔を見てピンと来られてしまったドラッカーさん。

百歩譲って仮にそうだったとしても、前田敦子はその後、何故かその本を抱えて再び本屋に行くのだが、これがまた意味が分からない。

そうしたらそこにたまたまチームメイトが居て、彼がなんとドラッカーオタクだったというシーンにつながる。そしてドラッカーが定義するものを野球に置き換えたとたん、彼のやる気が奮起されるというくだりがあるんだけど、それであれば、最初に本を買ったところにそのキャラクターを置いて、そいつが無駄にその本に食いついてしまった結果、しかたなく、その本を使うことになったというのをエクスキューズにすればよかったのだ。

故に、冒頭のシーンは丸々必要ないことがわかるし、わざわざ本屋に戻って来たことの説明がないため、なにがなんやらちんぷんかんぷんなのである。またこのシーンでの青木さやか石塚英彦は目も当てられない迷演を見せてくれる。ミュージカルになったり、わざわざ書店内でプロジェクターを使って、マネジメントを説明するのも浮世離れしており、一体この映画はどういうトーンで観ればよいのか?という居心地の悪さを感じる。

冒頭からおくちぽかんなのだが、他にも「最初からそういう手段を使えばよかったんじゃないか?」と思ってしまうシーンも多々あり、言ってしまえばこの弱小野球部は単に選手と監督がコミニュケーション不足なだけで、つまりそれが解決出来て、選手達にやる気を出させればなんてことない、すべてが終わってしまうのである。

最初の出会いが悪く、気まずい思いをしていた前田敦子峯岸みなみが仲良くなる部分はないまま進むし、野球部員からつまはじきにされた前田敦子がなぜチームに受け入れられてるのかも描かれない。そもそも彼女の親友である心臓病の野球部のマネージャーはかなり部員から信頼が厚く、その人の親友で助っ人という紹介ならば、もっと部員の方は出迎えてあげる体勢でいてもいいはずで、多少生意気なことを言ったくらいで、それは元々病気のマネージャーが思ってることなのだから、その辺は察してあげてもいいのでは……

結局、弱小チームの問題はこの病気のマネージャーがすべて解決してしまい、前田敦子は一体なんのために助っ人に来たのか分からない状態にまでなってしまう。

――――と映画は一事が万事この調子で、こういうことを言い出したらキリがない。ぼくは映画において脚本というのはあまり重要視しないタイプなのだが、いちいち引っかかって物語に集中させてくれないのもどうかと思う。

そもそも脚本の時点で穴だらけなのに、映像はテレビドラマっぽい安さに満ち満ちていて、悪い意味での引き算が働いてしまいスッカスカである。役者の演技/セリフもステレオタイプなモノや普段そんなことば絶対にしゃべりません!というものが多く、さらには感動するっぽい何かを貼り付けただけで、基本的にワンシークエンスになんのエモーションもない。

もっと言えば、この作品は「あらすじ」だけをそのまま「あらすじ」として映像で提示してるだけで、映画ならではのダイナミズムやスケールのデカさやキャラクタースタディなどが、ろくすっぽ抜けおちているのだ。

「プロセスではなく結果が大事!」と彼女は映画の中で何度も何度も繰り返すが、映画はプロセスがなく、結果だけがそこにツラツラと並べられてるだけ。なんという皮肉の効いた展開だろう。

しいて良いところをあげれば、監督が思いついた「ノーバント、ノーボール作戦」が前フリになっていて、あとでサプライズにつながったり、大泉洋の役が思いのほかよかったということだろうか、予告編で衝撃的だった「そんなピッチャーいないんだ!」も映画の中においては実は重要な役割をしていたし、言ってしまえば少し泣きそうになってしまった。

最初の一時間は、ホントに映画としての体裁が整ってないのだが、それを過ぎると意外とおもしろくなり、ダイジェストのようにドラッカーの精神がみんなに伝わっていくプロセスは楽しいし、そこでのあっちゃんの淡々としたナレーションもいい味を出していたと思う。まぁ、ぶっちゃけここも、島田紳介のうまい例え話を聞いてるような感じではあったが……

正直、ものすごくハードルを下げて観に行ったにも関わらず、そのハードルを飛び越えるどころか、スライディングしてもくぐれないほどダメで、ちょっとした衝撃だった。

ところがである。ある一点において『もしドラ』は他の映画にはない異様な光を放つことが出来たのである。それはぼくがこの映画を観に行く理由でもあったのだが……………すんげえ長くなったのでまた次回!あういぇ!

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*1:この場合の「理由」はクローバーフィールドにおいて、なぜ怪獣が襲って来たのかの説明がないとはまるで別物なので注意されたし