もう灰皿テキーラとは言わせない『一命』

『一命』鑑賞。3Dの作品であったが、新潟では2Dしか上映しておらず、2Dでの鑑賞となった。

とある浪人侍が大名屋敷を訪ね、切腹したいから庭先を貸してくれと申し出る。切腹する気もないのに金や役職に就くための手段として「狂言切腹」が流行っていたこともあってか、その浪人に対し、殿様が「ある一人の若者が狂言切腹をするために訪ねて来た話」をする。その若者は二十歳そこそこであったが、ここで金でもやって許してしまうと、このような輩がひっきりなしに訪れてしまうという懸念から、世間への見せしめとして本当にその若者を切腹させたのだ。もしそのつもりならとっとと帰るがよいと浪人に諭すのだが、浪人はその話を聞いてもなお、武士に二言はないと庭先での切腹を懇願する。切腹の用意が出来、いざという時にその浪人は最後の願いとして、介錯人は腕の立つ男にしてほしいと、とある男を指名する。ところが、指名された男はその日、御法度である門限破りと無断欠席をしていた……というのがあらすじ。

まず『一命』このタイトルが非常に良い。映画が始まって早々、太い筆で漢字二文字の『一命』ドーン!――――もうこの文字だけで映画のすべてを物語ってる感じがするではないか。そしてその次に現れるのが「市川海老蔵」「瑛太」ドーン!ドーン!――――なんという文字の組み合わせだろうか。もうこれだけで映画は決まったようなものである。ましてや音楽は「坂本龍一」――――仕事うんぬんというより、筆文字が似合う人ばかりを集めたのか?といいたくなってしまうようなメンツである。

このオープニングからも分かるように映画全体から芯の太さ/力強さみたいなものを感じた。基本的に「動」のシーンがそれほどないというのがその要因だと思われるが、どちらかというとアクション映画としての時代劇というよりかは、とある結末に向かって観客が宙づり状態にされるというサスペンス映画としての魅力がある。

「静」のシーンがメインのため『十三人の刺客』よりもバジェットは少ないだろうが、撮り方や題材次第ではまだまだ時代劇も行けるんだなとこれを観て確信した。特にそれを感じさせたのが市川海老蔵の存在だ。

正直「灰皿テキーラ」の人という印象しかなく、歌舞伎に対しての思いが強いというのは、トーク番組でさらっと見た程度だったのだが、まさかこんなに重厚な演技が出来る人だとは思っていなかった。勝新三船敏郎っぽいとは聞いていたが、本当にその通りで、タイプこそ違うが、全盛期の仲代達矢と同じと言ってもいいのかもしれない。そういえば、この映画のオリジナル*1にあたる『切腹』では海老蔵の役は仲代達矢が演じていたのだった。

じゃあ、海老蔵瑛太満島ひかりが喰われていたのか?と言われれば決してそんなことはなく、熱量の強い演技を爽やかな演技で上手い具合に中和していた。瑛太には何の興味もなかったが、本当に御見事。同世代の役者たちはこれに嫉妬するだろう。タイプの違う三人だが、基本的にこの三人のアンサンブルは観ていて心地良かった。まさに役者力とストーリーの力で見せ切る作品なのである。

素晴らしい作品であるが、気になったのは映像の明るさだ。基本的に電気がない時代の話なので、あまり明るすぎると逆に画が栄えない。かと言って映画である以上は照明を当てないといけないので、どこまでそれをやるのか?というのがポイントになってくる。『十三人の刺客』は良い意味で映像が真っ暗であり、そこに圧倒的なリアリティと重厚さが生まれていた。違う作品であるが故に比べてはならないのだが、どうしてもあの映像にヤラレてしまった者の意見として、『一命』は若干ではあるが明るいのである*2。ただし、この作品は3Dで公開されているので、それにあわせて映像を明るくしたともいえる*3。だったら最初から2Dだけにして、映像を暗くしたほうがよかったのでは……まぁピーカンという設定だったからいいっちゃいいんだけど……

というわけで、なるべくストーリーに関する記述は避けて観に行って欲しい作品。今映画化する意味のある題材で、政治家の人とかが観たら居心地悪くなるんじゃないかなぁ。おすすめです。あういぇ。

*1:原作の再映画化という位置づけであるが便宜上オリジナルと書く

*2:それでも充分すぎるほどに暗いんだけど

*3:3Dメガネをかけるとどうしても暗くなってしまうため、そのような設計にしたのではないかと