完全分業制によるハリウッドの本気『猿の惑星 創世記』

猿の惑星 創世記』鑑賞。『猿の惑星』は一作目とバートン版しか観ていないので、あまりシリーズを通したトリビアは出て来ません。あしからず。

もうオレ人間嫌い!猿でいいよ!猿になりたい!

と見終わった後に『第9地区』とまったく同じ感想が出て来てしまったわけだが、実際この『猿の惑星 創世記』は『第9地区』のエビを猿に置き換えたような作品であり、意識的に人間を悪しき者にし、猿側に感情移入しやすいように作っているので、中盤すぎくらいから「なんだよ!人間なんてぶち殺してしまえ!」という感じで観ていた。アルツハイマーに悩まされてる父を助けるべく製薬会社で日夜特効薬の研究に励んでいる主人公も良い人そうに描かれているが、実際、危険な存在である猿を野放しにしていたりと、基本的に人間側にはろくなヤツが登場しない。

さて、前置きが長くなったが『猿の惑星』の前日譚ということで、人間の手によって進化した猿が地球を征服してしまうまでを描いている。

「おいおい!じゃあ『猿の惑星』ってのは猿が住んでいた惑星じゃなくて、地球のことだったのか!」といきなり一作目のネタバレ全開なのだが、つまりこの時点で『猿の惑星』を語り直す気はさらさらなく、まったく別な映画として作ってやるという気概に満ちているということになる。

大旨予告編通りに話が進んでいき、正直真新しさはないと言っていい。やってることは王道中の王道であるが、逆にそれに対してハリウッドの本気を感じたのだった。

もしかしたらぼくが知らなかっただけで前からそうだったのかもしれないのだけれど、今回、エンドクレジットを見て驚いたのは『猿の惑星 創世記』が完全分業制だったということだ。

猿の惑星』の一作目には自由の女神が……というSF世界ならではのセンス・オブ・ワンダーがあったが、今回もそのインパクトに負けじと、数々のセンス・オブ・ワンダーが待ち受ける。『アポカリプト』のような冒頭の猿捕獲シーンに、CGであることを忘れる猿の存在、木から木へ飛び移ったら、その葉が雨のように道路に撒き散らされたり、終盤のサンフランシスコ襲撃やゴールデンゲートブリッジでの一戦など、すべてのシーンが独創的であった。

ところがエンドクレジットによると、これらを演出しているチームはそれぞれ違うのである。出て来る猿は完全にフルCGであったため、その猿の演出も恐らく別のチームだろうし、檻に閉じ込められた猿が手話で会話するくだりなんかも別チームの制作なのかもしれない。それぞれのスペシャリストたちによって映画は作られるわけだが、それが今作ではかなり徹底されていたといえよう。

ハリウッドは一つの脚本にいろんな脚本家が手を入れると聞く、その時点で作家性としての映画ではなくなるのだが、製品として、お客さんにいい物を提供するという意味ではそのやり方は正解とも言えるのだ。

今回の『猿の惑星 創世記』はリブートでありリメイクでもあるが、その「製品」としてのハリウッド作品の本気を久々に見た気がした。ビッグバジェットをマネーメイキングスターにあてず、特撮のみに絞り、猿が街中を暴れ回るという、キングコングよろしくの原点回帰を試みた。それだけではなくSF先進国であるという意地も見せていたようだった。

というわけで、いわゆる「監督の作家性を見よ!」というものとは違う意味で大傑作。映画を観て素直に「おもしろかった!」と言えるし、もし『キングコング』や『ゴジラ』などを知らない状態で子供の時に観ていたら、脳裏に焼き付いていただろう。おすすめ!あういぇ。

シリーズ通してのトリビアなどはこちらが参考になるかと
2011-10-17 - THE KAWASAKI CHAINSAW MASSACRE

http://d.hatena.ne.jp/Stroszek/20111009/1318172721