とかくに人の世は住みにくい『モンスターズクラブ』

『モンスターズクラブ』鑑賞。

雪深い山奥でひとり孤独に爆弾をつくりつづける男がいた。外の世界との接触をさけるように必要最低限のものだけで生活をしているその男。彼は「効率化の進んだシステム社会が、個人の自由を奪っている」という思想の元、システムを変えるための行為として、その爆弾を各企業に送りまくる。だが、彼はその孤独感からなのか、次第に幻覚を見はじめ、狂気とも幻想ともどちらともつかない世界へといざなわれていく……というのが主なあらすじ。

豊田利晃監督の作品は『ナイン・ソウルズ』と『青い春』しか見てないが、これらが直木賞を狙った作品だとするなら、『モンスターズクラブ』は芥川賞を狙ったような作品。雪深い山の中、ゆったりとした地をはうようなカメラワークはコーエン兄弟の『ファーゴ』を思わせる。ひたすら瑛太の生活っぷりを映し、淡々としたナレーションとアコースティックを基調とした音楽で味つけ。ランタイムも72分とタイトなつくり。

ワンセンテンスのながい純文学のように、全体的にカットは長く、それが独特の緊張感とリズムを生みだしている。セリフはほぼなく、なんの展開もないので、爆弾魔が爆弾を作ってさあたいへんという物語を期待すると肩すかしを喰らう可能性大。『太陽を盗んだ男』から見せ場だけを抜いたような作品であり、実在した爆弾魔の生活を調べあげ、それに近いかたちを日本に移し替えたようだが、爆弾を作るシーンを執拗に映すくだりや、そのラストもふくめ、かなりちかいものを感じた。

中盤、窪塚洋介瑛太が哲学的な押し問答を繰りひろげるのだが、ここの長回しは見事であり。動き回るカメラと役者、コロコロ変わるテンションで「何も起きてないのに、何か不穏なことが起きている」という演出を見せつけ、我々は映画を見てるんだ、映画を見るというのはこういうことだよなぁと感じさせる。映画唯一の見せ場はここだと思う。孤独を選んだが、家族を忘れられず、ひとりで父親と母親と兄弟の役目をはたしているんだというのを何気ないシーンで示唆したり、全体的に繊細である。

しかし、72分というタイトさでありながらも、体感時間は長かったかなというのが本音だ。何も起こらなすぎる映画を狙ったのはわかるが、純文学は何も起こらなかったとしても文章自体がおもしろくて、それで最後まで読めてしまうのだ。ナレーションも徹頭徹尾ずーっとしゃべってて、それが多すぎるがあまり、内容がまったく頭に入って来ず、出来ればその内容も心の声ではなく、文章としてしっかり目で追いたかった。もしこれをノベライズにしたら、またちがった形でたのしめるのかなとも思った。作品内で引用された詩もふくめ、そういった意味でもかなり文学的な作品であるといえよう。

が、しかし、いまのこの時代に人気スターを使って、文字通り時代に警鐘を鳴らすような作品が全国で公開されるというのはおもしろい。テレビ屋映画だけじゃないんだぞという監督や制作者、役者たちの気迫も感じた。ぬるい映画を吹き飛ばすような骨のあるものが観たいという人におすすめしたい――――とはいえ、少しばかり退屈ではあったが。