この映画の世界は現実にある『しあわせのパン』
『しあわせのパン』鑑賞。
リアリティとは不思議なもので、こんなのがホントにあるわけないと思ったことが実際にあったことだったりする。
『101回目のプロポーズ』に出演した武田鉄矢はさいしょに台本を読んだとき「ぼくは死にましぇーん」のシーンをやりたくないと言ったそうだ。
理由は「幼稚でリアリティがないから」
ところが、そんな武田鉄矢にプロデューサーはこう言った。
「あれ……ぼくの実話なんですよねぇ……」
こうしてあの名シーンが生まれたわけだが、映画の中のリアリティの「ある/なし」は、見た本人がそれを体験してるかしてないかによって大きく変わるものである。
『しあわせのパン』は北海道を舞台にした、ド田舎にあるパン屋さんのお話。
この手のスローライフ/スローフード系の映画はたくさん製作されてきたが、たいがいファンタジーにしか見えなかったというのが本音だ。
もちろんすべて楽しく見させてもらっているが、映画の中の理想はあくまで理想であって、現実にああいう生活が出来るのか?といわれるときびしいものがあるだろう。
ところが『しあわせのパン』にはそういった嘘くささがなかった。理由は至極単純でこの映画の中の世界が新潟にあるからである。
ひとつは「カーブドッチ」というワイナリー。東京でワインを育てるのに適した場所を探していたオーナーが新潟のとある場所にいきつき、そこでワインを作り始めた。田舎の奥でひっそりとやってるワイナリーだが、そこにはカフェやソーセージと地ビールを食べさせるレストラン、当然ワインをおいしく飲むためのレストランもあり、宿泊も出来る。
入り口は舗装されてない山道で隠れ家的な静かな施設だが、まさに『しあわせのパン』の舞台そのものである。その確かな味と映画の中の世界のような環境が話題を呼び、今は東京から来る人も多いとか。
もうひとつは「アナハイマーキッチン」というカレー屋さんだ。夫婦でやってるカレー屋さんだが、まぁここのマスターが変わり者であり、ビーフカレーをそこそこのボリュームで出してくれるわりに値段が500円で、儲けたいんだか儲けたくないんだか分からない。いちおう企業向けに弁当を作って、それで儲けてるらしく、本業のほうはおいおい大丈夫か?というほどいい加減で、時折、頼んだメニューの値段もわかっておらず、あれいくらだったっけ?とこっちに聞いてくるくらいだ。
けっして多くのお客さんでにぎわってるわけではないのだが、毎日常連さんがいて、わいわい楽しくおしゃべりするなど、これまた『しあわせのパン』との共通点が多い。
つまり『しあわせのパン』は、今までどこかファンタジックな話だったスローライフ系の映画を、まったく人家のない田舎を舞台にしたことで、リアリティを持たせることに成功した唯一の作品なのである。
そのリアリティは細かいところにまで行き届いている。
例えば、今までこの手の映画ではお会計のシーンが丸々削除されていたりして、ほんとうにお店として機能しているのだろうか?というような疑問があったが、監督もそれが気になっていたのか、「これ、お土産にするんでください」とか「お金ならいくらでも払いますから」というように、ビジネスとしてお店をやっているんだよということを観客に意識させるような演出をしている。
そして、ふわっとした空気感だけを楽しむように、今までの作品ではドラマ部分が削がれていたが『しあわせのパン』にはこの手の映画にはないようなウエットなドラマが随所に差し込まれる。いつもは仰々しい演技が魅力の大泉洋も、そのウエットなドラマのさまたげにならないよう、徹頭徹尾おさえた演技でストーリーテラーの役割を果たしている*1。奥さん役の原田知世も同様だ。
そのドラマを引き立てるかたちで、北海道の自然の豊かさと冬の厳しさを伝えたいと、四季を丹念に映し出し、大事に撮られたというのがよく分かるような映像が次々現れる。クローズアップとロングショットを交互に使い、まるで写真のスライドショーのように展開していくのが特徴で、作った料理やお客さんの笑顔、季節を一年通して撮りため、その写真を一枚一枚大事にアルバムにいれ、それをゆっくりとめくるような、そんな編集がなされている。
正直、主人公夫婦はストーリーテラーに徹して欲しかったとか*2、あまりにドラマ部分がウエットすぎるとか、多少バランスの悪さもあるが、観たあとは矢野顕子のうた声と共に心地よい余韻が駆け抜けるだろう。
「これはほんとうにあることなんだよ」という部分を意識的に増やし、それとは反対に理想としてのスローライフを提示してくる『しあわせのパン』は、今までの作品とは一線を画しつつ、素朴でありながら、毎日飽きずに食べれるような、そんな魅力に溢れていた。