哀愁の花びら

『哀愁の花びら』は映画マニアの間では大変有名な作品となっている。それは尊台ラスメイヤーの最高傑作『ワイルド・パーティー』の元ネタだから。正確に言うと原作者に黙って続編にしてしまったのが『ワイルド・パーティー

ストーリーというか、芸能界に憧れた女の子が堕ちて行くという大枠はほぼ一緒なのだが、内容はもちろんの事、映画自体の方向性も違っているので、別次元で語られるべき映画。『ワイルド・パーティー』は精神状態が『ブルース・ブラザース』と一緒で、おもしろいと思えるもんならなんでも入れちまえ!と言わんばかりに、映画における娯楽の要素を高密度で詰め込んだ作品になった。もちろんこちらは満点クラスの大傑作である。

さて、そんな傑作の元ネタである『哀愁の花びら』であるが、これまた壮絶なお話だ。ふとした事で芸能界に入る事になったアンを中心に、才能に満ち溢れながらも酒とクスリに溺れて行くニーリー、キレイだが、役者としての才能はまるでないジェニファー、この3人が芸能界という荒波に呑まれていく様をリアルに描いている。とにかく出てる女優の美しさと反比例するかのような凄まじい作品であった。元々原作は後にTVドラマ化されているので、かなり長い話なのだと思う。そしてその原作になるべく沿って映画化されたのだろう。それが証拠にこの作品。ジェットコースターのように2時間の間、これでもか!と悲劇的な展開が次から次へとやってくる。ここまで来ると笑うしかないというくらい、怒濤の展開だ。残念ながらストーリーについては言及出来ないが、単純に「牡丹と薔薇」のような昼ドラを2時間に濃縮したら、こんな感じになるんだと思う。もちろん内容は至って真面目。ショービズ界の裏側をかなり本格的に描いていて、ベテラン女優の立ち回りなんかは、もしかしたら○木瞳もこんな感じなんじゃないか?と思わせるくらい説得力がある。

だが、この作品はその展開があまりにも急激すぎて、笑える映画になってしまっているのだ。これを作った本人達には申し訳ないが、昼ドラもあまりに過剰だと笑えてくる。それのスケールがでかくなったモノと考えると想像が付くだろう。ある意味必見の映画なのだ。

この作品がなければ『ワイルド・パーティー』も企画されなかったのかもしれないが、実は『ワイルド・パーティー』そのものにも影響を与えたような映像が素晴らしく。スタイリッシュでモダンな感覚はとても67年の作品とは思えないくらいセンスが良い。完全にシーンの意味は分からないが、唐突にミュージカル風になり、様々なイマジネーションのカットが飛び出してくる様は見ていて圧巻。シュールでサイケな色彩だからドラッグカルチャーを表したものなのかもしれないが、見事である。

堕ちていく女達の中でもあのシャロンテイトはやはりキレイだ。女神という言葉がしっくり来るくらいに光り輝いていた。本人が劇中で言うセリフ「私には脱ぐ事しか出来ないの」という言葉はシャロンテイトだったからこそ刺さったのかもしれない。実際彼女のセリフ回しは笑えるくらいひどいし(笑)そんなシャロンテイト事件をモデルに続編と謳って公開されたのが『ワイルド・パーティー』なのだからすごい。なんという反モラルな製作陣だろう。『哀愁の花びら』の世界と一緒で、金が儲けられればなんだってするのがハリウッドか…