『羅生門』のリメイク『暴行』

8時に起きたら、おかんが『暴行』という映画を観ていた。BSであったらしい。64年のモノクロの映画でポール・ニューマンが出ているが、なんとこれ『羅生門』のリメイクでちゃんとクレジットにもAkira kurosawaの文字とRyunisuke Akutagawaの文字が!

これ有名か?『荒野の七人』とか『荒野の用心棒』はすごい有名だけど、『暴行』ってネットで検索してもぜんぜんひっかからないぞ!

おかんは『羅生門』を観ていなくて、すごくおもしろかったと言ってた。んで、興味あったんで観てみたんだけど、いやぁ、ある意味でおもしろかったね。全部そのまんま完全に再現するんだけど、4人目の視点が若干違ってて、でもやっぱり銃と刀じゃ4人目の視点の意味が違って来るんだよなぁ。

さらにこのリメイク版の『暴行』は『羅生門』の主題をラストに全部セリフで言っちゃう(笑)

ちゃんと雨が降ってて、“羅生門”じゃなくて、ボロい駅舎で集まってる。坊主の代わりに牧師さんで、木こりの代わりに詐欺師になってる。なんで、木こりから詐欺師になってるのかは映画を観れば明らかになる。ここは上手いと思った。

でもラストは死体から衣服をはぎ取ったり、髪の毛を抜いたりする“羅生門”だからこそ意味があるわけで、ただの駅舎じゃ、最後に赤ん坊が居てもなんとも思わんよなぁ。

羅生門』という映画は平安時代に起きた殺人事件の話だ。

まぁ、映画を説明するにはあらすじを全部書かかなければならないので書く(ここからネタバレ)

三船敏郎演じる盗賊が薮の中で昼寝をしていると、侍夫婦が通りかかって、三船は夫の森雅之をだまして縛り上げ、夫の目の前で妻の京マチ子をレイプする。しばらくすると、現場から夫の死体が発見され、盗賊と妻は消えている。

映画の中で起こる事実はこれだけ。ここからが『羅生門』のおもしろいところで、裁判で三船敏郎の盗賊、侍で夫の森雅之京マチ子の妻がそれぞれ証言するのだが、それぞれの証言が全部微妙に食い違っているのである。

おい!夫は死んだって言ったじゃねぇか!と言われそうだが、なんとイタコを呼び出し、霊の言葉で証言させるという、江原も真っ青の事をやってのけるのだ(笑)妻がレイプされたというのと、夫が死んでいるというのは事実としてあるが、レイプされてからの経緯が全部違っていて、それぞれがそれぞれに自分に不利益な事を言わず、自分はある意味で被害者なんだという事をそれぞれに言う。

盗賊の証言は妻にものすごい魅力を感じ、妻を夫から奪ってやろうとしたが、殺すつもりはさらさらなかった。実際、夫を縛り上げ、目の前で妻を強姦したが、妻はこう言う。「犯された自分はまっとうに生きていけない。ならば、2人で戦って、どちらか生き残った方に付いていく」この事で強盗は夫と決闘。盗賊は夫を殺すが妻はこつぜんと姿を消していた。

妻は生き延びるために盗賊に身を任せたのに、夫は妻の事をひたすら蔑んで目で見る。それに絶えられず、自分を殺してくれと短刀を夫に差し出したが、気が付いたら短刀は夫の胸に突き刺さっていたと証言。自分はやってないが、ある意味で夫を殺したのは私なんですと涙ながらに告白する。

夫(イタコが呼び出した霊)は妻が犯された後、盗賊に付いていくと言い出し、代わりに夫を殺してくれと頼むのを知って絶望。自分で自分の胸に短刀を刺して自害、意識が薄れていく中で誰かが胸から短刀を引き抜いた事を証言する。

それぞれの証言が終わったところで映画は終わらない。なんとこの事件を見ていたという木こりが現れ、彼の客観的な視点で事件が語られるのだ…それによると荒々しく恐そうな盗賊と誇り高き侍はそれそれ、ただの弱虫である事分かり、美しくも高貴な女はただのアバズレビッチである事が明らかになる。へっぴり腰で戦う2人。腰が抜けて、立つ事も出来なくなった侍は盗賊に「死にたくない」と懇願。盗賊は侍を殺し、女を再び犯そうとするが、あまりの疲労と緊張に妻を追いかけ回す気力もなく、妻は颯爽と現場を去っていく………ところが!実はそれも真実ではない!

何故ならば、3人が共通して語っている短刀について木こりは触れていないのだ。死体からは短刀が抜かれており、誰かが引き抜いた事は間違いない。木こりは木こりで3人が言ってる事と矛盾しているのだ。もし木こりの言ってる事が本当ならば、じゃあ、誰が短刀を盗んだのか………

と、言ってしまえば、映画の中ではこの木こりが盗んだ事になってる(ただ本人はハッキリ認めてないが)

リメイク版ではこの4人目の視点が違っていて、オリジナル版では盗賊が刀で刺し殺すが、リメイク版ではちゃんと短刀で死んでいて、現場の死体からは刺さってるはずの短刀が無くなっているというのをハッキリさせる。誰かが短刀を盗んでいるという話になって来て、詐欺師という職業が効き、ウソ付くのが得意なんだからと問いつめ、ちゃんと自分が盗んだ事を白状するのだ。

結局誰も彼も本当の事を言っておらず、オチが無いなんて、じゃあ『羅生門』がしたかった事はなんなんだよ!?って思う人もいるだろう。実は『羅生門』がやりたかったのは事件を明らかにする事ではなくて、人間の本性を1つの殺人事件を通して描くという事だったのだ。

人間ってのは嘘つきで、利己的で、嫉妬深くて、強欲で、自分勝手であるというのが映画の主題。自分が罪からちょっとでも逃れようと些細なウソをつくし、自分に不利益な事は決して言わない。これは事件に限らず、ありとあらゆるケースで見られる事だ。実際、今でもニュースで「このように両者の言い分が見事に食い違ってますねぇ」というのがよくある。食品偽造や耐震偽装の時も、嘘つきまくりで、絶対にボロが出るのに、その場しのぎのウソをみんなつく。実際に三浦和義ロス疑惑だって、疑惑なわけで、本当の事を知ってるのは本人だけなのだ。

リメイク版ではそれがハッキリ描かれる。というか、全部それを一語一句説明する(笑)実際、この脚本と展開、人間のエゴという主題は世界に衝撃を与え、ベネチア映画祭を制する事になり、証言が食い違う事件をアメリカでは「ラショーモンケース」という風に言うらしい。

ただ、リメイク版も良く出来ているが、雨の振らせかたや羅生門の造形、宮川一夫の超絶な撮影がある分、オリジナル版の方が断然いい。三船敏郎に比べ、ポール・ニューマンはそこまで遜色無いが、いかにオリジナルが素晴しいか分かる。

しかも、このブログでさんざん「人間ってのは自分勝手でどうしようもない生き物」という風に公言してきた私にとって、『羅生門』は自分が常日頃からニュースなどを見て思ってる事を援護射撃してくれてるようで心強い。『羅生門』の原作は読んでてなんのこっちゃわからんし、人数も多いが、映画はシンプルにまとめられてて、素晴しい。

『暴行』がBSで放送され、たくさんの人の目に触れたかもしれないが、やはりここは『羅生門』を推すのが自然な流れであろう。つーか、観ろ!ちょー傑作だっつーの!

羅生門』を観なおす。やっぱり傑作だ。こっちの方が断然いい。リメイクを観てから観ると余計にそう思う。太陽を映したり、汗を映したりして、蒸し暑さを表現するだけでなく、森の中なのに縦横無尽に動き回るカメラと一枚絵の作り方がとにかく絶品。雨の中から回想一発で晴天の暑い日にいくモンタージュは、『2001年宇宙の旅』や『ワイルド・パーティー』に先駆けている、まぁこちらはフラッシュ・フォワードだけど。

つーわけでやっぱり世界のクロサワは偉大なんだなと改めて思いました。あういぇ。