タランティーノの元・相方「ルールズ・オブ・アトラクション」


これを言うとビックリされるかもしれないが、私は『耳をすませば』が嫌いである。正確にいうと“普通”だったが、ある映画を観て“嫌い”になったという方がただしい。だから似たテイストの『魔女の宅急便』も嫌いになった。青春というのはもっと悩んで、もっと挫折して、クソみたいな毎日を送って、そこから楽しさを見出したりするものだ。基本的に若いうちは悩む。だからこそ『都会では自殺する若者が増えている』という歌も唄われるわけだが。これらを観て自立なんて楽ちんだなと思う子供が出てきたらそれこそ悪影響で、それだったら『バトルロワイヤル』の方がよっぽど世の中の縮図だし、生きて行くうえでタメになると思う。

さて、青春や人生がヌルく描かれたこの二本とは対照的な作品がアメリカから登場した。『アメリカン・サイコ』の作者が退廃的な青春、セックスとドラッグにまみれた学生生活を描いた『ルールズ・オブ・アトラクション』の映像化である。監督はロジャー・エイヴァリー。映画ファンには有名な名前だろう。ロジャーはまだ監督作が2本しかないが、何故有名なのかというと、彼はタランティーノの元・相方だからである。

ロジャーはタランティーノビデオ屋で一緒にバイトした仲、両者ともに映画が大好きでその知識を活かし、映画監督を夢見たふたりは一緒に脚本を書くようになる。『パルプ・フィクション』のブルース・ウィリスの部分を書き上げたのは他でもないロジャーエイヴァリーだ。その『パルプ・フィクション』でで脚光を浴び、タランティーノがひとりで脚本を書き上げたことにしたがったため関係は破滅(結果、クレジットは共同執筆ということに)のちに彼は『キリング・ゾーイ』という映画を監督し、その製作をタランティーノにさせることで自身の脚本のクレジットを売ったとも噂されている(『ルールズ・オブ・アトラクション』の出だしのセリフは「あれはタランティーノ製作と宣伝されたけど、彼は名前を貸しただけさ」である)。

名前だけがひとり歩きしたロジャーは監督二作目にして熱狂的に愛する『ルールズ・オブ・アトラクション』の映画化に挑戦し、それにすべてをかけた。映画史上最長の逆回転、それぞれのキャラの一人称をスプリットスクリーンで見せ、それぞれを出会わせたり、デジタルビデオを使って撮った70時間の旅行を3分で見せるなど、遊びに遊んだ才気溢れる映像感覚はデパルマも嫉妬したのではないかと思わせる。それだけでなくタランティーノと別なベクトルを見せた音楽の使い方、青々しい役者の演技にまったく先の読めない展開、アホなギャグや下ネタ満載のセリフ回しとシリアスな場面の融合、87年に発表された小説だがそれを下敷きにロジャーは独自の映像で徹底的に病んだアメリカを描写していく。

この作品は純粋な物と汚い物がごちゃ混ぜになっている。我々が体験している青春の影の部分。突かれるとなんか恥ずかしいあの感じだ。単純に好きな人を想うというキラキラした気持ちだけでなく、酒やドラッグを浴び、好きな女を想ってシコる、口に出す事は出来ないが、誰しもが体験してたり想っている事を、ロジャーは惜しげもなく映画の中にぶちこんだのだ。

話の軸は処女とゲイとヤクの売人による三角関係を描いたラブストーリーだが、この恋の結末を冒頭に持ってくることにより、展開に面白みを持たせている。『カリートの道』で見せたあの倒置法であるが、あれだけの恋があんな結末になるなんて……という展開は正解だったと言える。主役のヒロインは映画史上最低の扱いを受けるがそれすらも輝いて見えて来るのは、後半部分がとてもイノセントで繊細に出来ているからだと言えよう。

ルールズ・オブ・アトラクション』は何故かアメリカでは散々な結果だった。評論家に酷評され、まったくと言っていいほどヒットしなかったらしい、役者が若手中心だったからだろうか、その辺の理由は定かではないが、実は日本でもあまり評価されておらず、この作品を支持する人はほとんどいないという状況だ。この作品はたしかに万人から好かれるタイプの作品ではないが、この映画を嫌う人は映画の中で現実を突きつけられるのが嫌な人達だろう。

耳をすませば』なんかに騙されるな!我々が体験してきたホントの青春はここにある!目を背けずにすべてを観尽くせ!

ルールズ・オブ・アトラクション [DVD]

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