石油という名の血を浴びて大金を掴め!

神様なんて信じない 欲しい物は手に入れるの 『太陽』GO!GO!7188

私は「1番好きな映画は何?」と聞かれると「キューブリックの『バリーリンドン』」と答えていて、それは3時間の間に完璧な映像を見せてくれるというのもあるのだけれど、基本的に他人の事を信用しておらず、自分の本能の赴くままに突き進んで行き、人一倍競争心が強く、人一倍金に執着があるヤツが主人公という映画に惹かれるというのもある。

またそういうヤツほど、ものすごいスピードで成り上がり、ものすごいスピードで堕ちて行くというのがあって(しかも何故かそういう映画の主人公ってのは孤独なんだよなぁ)、そういう映画の主人公は人との繋がりを無視し、金を集め、他人を蹴散らす事しか出来ない。

ただ、私みたいな人間ってのはそういうもんだと思っているんで(使えないほどの大金が手に入ったら、もしくは手に入ると分かったら人間は何するか分からんぞ)それらが全面的に出ている物語ほど、人間そのものを感じる事が出来る。

上っ面の嘘や偽善、それらをどーでもいい理性で固めてるんだけど、その中にあるものが人間の本質であると主張する映画は大歓迎だし、そういう映画は今までに幾度となく作られて来た。『バリーリンドン』『偉大なるアンバーソン家の人々』『市民ケーン』『スカーフェイス』『グッドフェローズ』『カノン』『血と骨』…

ポール・トーマス・アンダーソンの新作『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』を観た。ストーリーなんかは検索すりゃ一発で出るはずなんだが、ここからは要約する事も含めて、ちょっとだけネタバレになるわけなんだけども、まぁ、2時間40分もある映画だし、オレがいくら「すげぇ映画だ!」と喚いたところで観る人なんぞ、たかが知れてるはずなので、書く。書かせていただきますとも。

石油キチガイのプレインビューが石油を掘って掘って掘りまくる。石油を掘り、プレインビューは泥と油にまみれながら金を掴む。あういぇ。と言う話。まぁ、それだけじゃないんだが、かなり多面体な魅力がある映画なので、何かにしぼって書かないとならないんだろうが、うーん。困ったもんだなぁ――――

ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』には台詞や説明が少ないが、作品のテーマ、そしてプレインビューがどんな人なのかは劇中に出てくる以下の台詞の通りだ。

「怒りを抱えているか?妬み深いか?他人を羨むか?オレは競争心の塊だ。他人が成功するのが許せない、人間を嫌悪している。オレは他人を見てそこに何の価値も見いだす事が出来ない。オレには人間の暗部が見える。1回見ただけで邪悪な部分が透けて見えるんだ。長年かけて少しずつ憎悪を積み上げて来た。一人ではこの仕事を続けられない。周りがみんな人間だとな。」

これはまさに最初に私がつらつらと書き連ねた事だが。人間は孤独を理解する事は出来るが、一人では生きていけない。一人では石油を掘る事など出来ない。だが、石油を掘るためには人間が居る。そして、プレインビューはそんな人間を嫌悪し、悪の塊だという。実際、彼の周りに集まってくる人間はすべて金と石油だけが目当てだ。そしてそれを自分で理解している。腹違いの弟にさえ会えた時も感動の再会などはなく、「ハッキリ言ったらどうだ?何が望みだ?」と聞く。プレインビューはアヤフヤな言葉や前置きなど一切無い。ずばっと人の本音を聞き、そいつの本心が分かったうえで、雇うのだ。だからスピーチする時も変な前置きをしないのである。はっきり言ってしまうと、プレインビューはキリストで言うところの罪人、もっと言えば悪魔のようなものなのだ。

そんなプレインビューに立ちはだかるのは狂信的な若き福音派キリスト教牧師のイーライ。イーライとプレインビューは出会った時から既に対立の関係にあった。狂信的に神を信仰しているイーライと、神にツバを吐きかけるプレインビューの価値観など分かり合えるはずもない。そもそもイーライですらプレインビューに5000ドルよこせと集ってるんだから、神を本当に心の底から信仰しているのかも不明なところがある。

そんな偽善的な(それはどうかわからんのだが、っつーか、勝手な憶測で物を書いてすまん。)イーライをプレインビューは徹底的に痛めつける。神をあがめてもイーライはプレインビューに頼らないと教会を建てられない。なので表立った対立はそこまでしない。

プレインビューはパイプラインを引くために必要な土地の売却を拒むジジイに「教会に行きなさい」と言われる。教会に行くなら土地を売ろうという。プレインビューは若きキリスト野郎のイーライくんに「罪人だ!悪魔だ!悪魔よ出て行け!」と言われ、イエスの血という名の水をかぶる。プレインビューはイエスの血をかぶったところで何も感じない。というよりもそんなまやかしに興味は無い、イエスキリストの血をかぶり、パイプラインを手に入れたプレインビューが浴びている血は石油だ。プレインビューは石油をかぶる事で神の赦しよりも欲しい金を手に入れる事になる。(『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド(血がそこにある)』のブラッドが石油のメタファーだってのは、高橋ヨシキさんのブログやら、その他、いろんなところで書いてあるから、今更の感もある)

そして、こういう映画にはかかせない。欲しい物はすべて手に入れたんだけど、なんか満ち足りてねーなーってのもちゃんと出てくる。プレインビューはやはり孤独だ。孤独に苛まれる。息子と最後に対峙するシーンはハイライトの1つだが、息子が去った後にふと思い出す「あの瞬間」はそれこそ『市民ケーン』を彷彿とさせる(ていうか『偉大なるアンバーソン家の人々』も意識させるシーンがあったりなかったり)

まぁ、この他にもいろんな事件があるんだが、それは見てのお楽しみっつーわけなんだが、見せ場が山ほどある中で、やはり衝撃的なのはラスト。神であるはずのイーライは、なんとプレインビューにすがる。藁をもつかむ気持ちとかいうが、最終的に神を崇めていても、人間は金がないと生きていけない。そして、その金を荒稼ぎするためには人は悪魔になるしかない。そして最終的に悪魔が神を…

と、まぁ、ラストはホントに衝撃的だったんだが、『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』は「家族といえども他者であり、分かり合えない」とか「人間の本質は性と暴力」とか「人間なんてクソみたいなもん」とか「人間は虫けらのように死ぬ」とか「この世は地獄で阿鼻叫喚だ」とか「神様なんていない」とか「死は尊くない」とか、常日頃からほざいている私のような人間を援護射撃するような思想に満ちあふれている。

中身だけじゃない。もちろん映像も卓越している。『ブギーナイツ』や『マグノリア』で見せた地面を這うような長回しは本作で遺憾なく発揮されており、『ウエスタン』のように大自然の中をロングショットで捉える絵が多く登場し、昔の西部劇を彷彿とさせる。

人間が嫌いで、悪魔のように金をかき集めるプレインビューを演じたダニエル・デイ=ルイスはさすがの一言。主演男優賞は文句無しで彼だろう。むしろ彼のための映画。そして彼のための役だったと言える。

ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』は神を崇めてるものにとっては非常にイヤな物語だろうが、逆に、人間なんて悪だ!クソだとわめいている私のような人間にはとてつもない傑作で、こんなにかっこよく素晴らしい映画がちゃんと作られてるとホッとするし、すっげー元気になれたので、やっぱりポール・トーマス・アンダーソンは天才なんだなと改めて思ったのであった。あういぇ。

あ、最後に書くの忘れたけど、そういやぁ、音楽は『シャイニング』で、ラストは『アイズ・ワイド・シャット』で、だだっぴろい平野が『2001年宇宙の旅』の冒頭で、ストーリーが『バリーリンドン』でってのは考え過ぎかしら?

ゼア・ウィル・ビー・ブラッド [DVD]

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