『20世紀少年<第2章>最後の希望』で許せなかったセリフ。


20世紀少年<第2章>最後の希望』鑑賞。あれだけ売れてる原作だし、TVでも第1章が放映されたので、もうそれらを観てるという前提で書かせていただきます。

原作の大ファンで、各方面から叩かれてる第1章も肯定派なのだが、今回の第2章はさすがに苦言を呈さずにはいられない。というか、アレだけ膨大な量を2時間に収めるのは大変な事なのだろう。原作を読んでないと絶対に付いて来れないくらいの情報量とスピード感で、若干の物足りなさを感じる。原作から抜け出して来たような役者達はホントにホントに素晴らしいのだけれど、原作を再現する事に全てを賭けた第1章に比べると、第2章は、原作をググッと縮める事に集中しすぎてるきらいがある。そのおかげでショーグンの脱出のくだりや新宿の街の様子なども含め、映像に力強さがないし、第1章にあった“血のおおみそか”クラスのクライマックスが無い事も弱点だったのかなと思う。まぁ、これはあくまで感想なのだが、

1番納得いかなかったのが、ともだち復活の時に仁谷神父が「未だかつて生き返った人間は一人しかいない、主イエスだ」みたいな事を言う事。

これ言っちゃダメでしょ?そういうのって説明しないでさ、受け手になんとなく「キリストの事なのかなぁ」って思わせる程度じゃないとダメなんじゃないの?

原作ではそんなセリフ一切無いし、よげんの書が聖書に取って代わる黙示録であるくらいしか匂わせてないわけで、そもそも『20世紀少年』ってカウンターカルチャーがキリストに反発した事が下敷きになってるんじゃないの?それを日本でやるから万博がシンボリックなものになってるんじゃないのかなぁ。だから当時のカウンターカルチャーの象徴だったロックをケンヂに背負わせたんじゃん。だからケンヂの名前がエンケンこと遠藤賢司で、モデルとなってる人物が神の声を持つボブ・ディランと悪魔に魂を売り渡したブルースマンロバート・ジョンソンなんだよ。ちゃんと「カレーの匂いがしてる」って歌ってるしさ。あとケンヂにもキリストの要素を含ませてる。ケンヂがテロリストだという設定は当時のユダヤ教の中で罪人扱いされたキリストと一緒だ。

ぶっちゃけオレは『20世紀少年』はともだちが誰なのか?というのが本筋ではない気がする。最初からそうするつもりだったのか、それとも途中で路線を変更したのか分からないけど、ホントにホントにそれはどうでもいい事だ。科学を知る事は神に反発する事で、そのともだちですら科学の力で神になった。だから、科学をも巻き込んだ神の存在に太刀打ち出来るのは、もう一人の神のロックしかない。神の音楽しか無い。その音楽でなら世界を再び変えれるっていう、いかにもオレ好みなメッセージがあって、それが本筋なんじゃないのか?つーか、深読みしすぎ??

しかも『20世紀少年』には一度死んで(死にかけたとか、死ぬ物狂いの思いをしたとか)復活するっていうキャラが山ほどいるじゃん。ともだち、ケンヂ、オッチョ、ヨシツネ、マルオ、ローマ法王、カンナ、小泉響子、ドクターキリコ、万丈目(こいつは幽霊だが)、だから、誰だって神になれるという無神論者的な側面もあると思う。しかも神様と呼ばれてるホームレスも出てくるし。

まぁ、これはあくまでオレの勝手な解釈だけど、そういうのは、ホントはセリフで説明したらダメだと思う。実際キリストという言葉は一切あのマンガでは出てこない。それを背景にして描かれた物語なのだから、それを匂わす程度にした方がいいはずだ。だからこそいろんな解釈が出てくると思うし。

本筋から反れたが、何故脚本の監修をしている浦沢直樹がこのセリフを許したのか理解出来ない。もしよげんの書が聖書に取って代わる存在になるエピソードを削るためにセリフを加えたのだったらそれこそ最悪で、あのよげんの書が各国の言葉で作られるというくだりがあって、それでともだちが復活するから、「おお!なるほど!もしかしたらキリストを暗示してるのかも!」って感動がジワジワ生まれるのに、それセリフでポンと説明されたら、なんの面白みも無いし感動もなくなる。

つーわけで、オレはあのセリフを絶対に許さない。もしかしたら最終章でケンヂの事も「それはまるでロバート・ジョンソンのようだ」とか説明してしまうのかも。あういぇ。