名もなき恋のBALLAD


カポネがアルカトラズに収監された1932年に一本の狂った映画が公開された。


近親相姦的な匂いを漂わせながら、93分もの間に人が死んで死んで死にまくるバイオレンス映画だ。長回し、光と影をハッキリさせたライティング、フェイドイン/アウト、オーバーラップ、クレーンショットなど、撮影テクニックがてんこ盛りで、人が死ぬと、建物の影や光が重なり、必ず十字架が出て来るという映画的なちょーかっこいい演出もぎっしりつまっていた。過激な内容から公開までゴタゴタがあったらしいが、映画は大ヒットした。


その映画とは『暗黒街の顔役(原題:Scarface)』―――

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若い時にこの作品を名画座で観たアル・パチーノは主演のポール・ムニの演技に強烈に惹かれ、「オレもこの役を演じてみたい!」と思った―――かどうかは定かではないが、『暗黒街の顔役』はアル・パチーノ主演、ブライアン・デ・パルマ監督で『スカーフェイス』としてリメイクされ、83年に公開された。公開時にはボロカスに叩かれたが、今ではカルト的な人気を誇っている*1


スカーフェイス』としてリメイクされた時、主人公はキューバ移民になり、コカインでのし上がっていく物語に変更された。冒頭、汗と脂にまみれてファーストフードで働くトニー達は休憩中に、クラブに行く金持ちをみながら「みろよ、あの服と車、コカインで稼いだ金で買ったんだ」と、羨望と蔑みが混ざったような表情でいう――――ここが『暗黒街の顔役』と決定的に違う部分で『スカーフェイス』という物語の核になっている*2


設定を変えたせいで、93分だった『暗黒街の顔役』が『スカーフェイス』ではなんと倍近くの170分になっていたが、それには意味があって無駄ではない。映画をリメイクして、上映時間を増やすのには、勇気がいるし、それを納得させる何かが必要になると思う――――*3


とても前置きが長くなってしまったが、『ALWAYS』の山崎貴が、『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦(以下、戦国大合戦)』を『BALLAD 名もなき恋のうた(以下、BALLAD)』としてリメイクした。オリジナルと比較して、ハッキリ変わったなと思ったのは、やはり映像で、説明的なセリフをつらつら言うシーンでも、ワンシーンワンカットで、カメラが動き回り視覚的に飽きさせないのは、さすが『ALWAYS』の監督である。十八番である状況設定ショットはあいからわずで、『ロード・オブ・ザ・リング』のように合戦シーンでは適度に空撮を使っていて、迫力ある映像を作り出しており、殺陣のシーンになると、ロングテイクを使い、まるで全盛期のジャッキー映画を観てるような錯覚に陥った。この辺はカンフーを細切れにしがちな海外の監督にも見習って欲しいと思った。


さて、『戦国大合戦』は95分なのだが、『BALLAD』は132分になっていた。オリジナル版はしんのすけと又兵衛の友情物語と、身分の違いによる悲恋が平行して進んでいくが、割合でいうと7:3くらいで、悲恋の方はそこまで多くないように思う。オリジナル版のテーマはあくまで「現代と戦国時代の家族の生き方の違いが、それぞれに影響し合う」であって、そこに「身分違いのため結ばれない恋愛」がオプションのように付いて来る。『BALLAD』ではその割合が逆になった。それが証拠に『戦国大合戦』であった「金打」のシーンが『BALLAD』では無くなっていた。金打とは刀をサヤから少し抜いて、またサヤに戻し、それで武士と武士の固い誓いを表す行為なのだが、このシーンを削った時点で、もはや友情物語でないのは明確だ。もちろんリメイクで恋愛を打ち出すのは構わないし、そのためには仕方の無い事なのかもしれないが、あのシーンが無かったら、最後に脇差し欲しがる理由がねーだろ!ケツ喰らえ!


そして、恋愛に寄ったせいで、ラストにトンでもない演出が付け加えられ、台なしになってしまう――――


ここからは『戦国大合戦』を観てない人にとってはネタバレになるので、もし、まっさらな状態で映画を観たいという人は、読まないでください。


以下、『戦国大合戦』を観てない人にとってネタバレ。観た人にとっては分かってる事。


映画のラストで、又兵衛が撃ち殺されるのだけれど、そこに姫が駆け寄っていくというのが『BALLAD』での大きな変更点だ。『戦国大合戦』では、又兵衛が撃たれて、しんのすけとのやりとりはちゃんとあるが、姫はやぐらで肩を落とすだけのワンカットしか映っていない。あれだけ徹底した時代考証の中で、やれるギリギリのリアリズムを原監督はよく分かっていた。特に姫の悲しみを小津映画のそれのように演出した事は特筆に値するものがある。


ところが、『BALLAD』では、又兵衛が撃たれた瞬間、姫が駆け寄っていく。誰に撃たれたかも分からない状況で、姫が駆け寄っていったら、普通は誰かに全力で止められるに決まっている。姫が又兵衛の元に駆け寄って、その後、長々とセリフのやりとりがあるんだが、そのあいだの時間は止まってるようで、部下達はおろか、敵軍も一切映らない。そして、さんざんセリフのやりとりがあった後、みんなが泣いてるカットを一通り差し込み、その後で部下たちが思い出したかのように「一体誰が撃った!?」と言いだす――――もしリアリズムを追求するんであれば、近寄る姫を誰かが全力で止め、撃たれた瞬間に又兵衛をかばいに行き、そして、すぐに誰が撃ったのかを追及するはずなのだ。オリジナルはちゃんとそれを分かっていたから、しんちゃんとのやりとりの後の行動は意外と早かったりする。


負けた相手側の武士から、発砲されたのは間違いないのだが、持ってる銃を取り上げるというシーンが無くなってしまったため、誰が撃ったのか分からないし、一体どこから飛んで来た弾なのかも分からなくなってしまったのも致命的だ。泣かせる事に力を注ぎ過ぎたのか、肝心なシーンでの肝心なディテールはかなり甘い。この感動を分かち合ってる人以外映らないというのは『続・三丁目の夕日』を思わせるが、まぁ山崎貴の面目躍如と言ったところなのだろうか――――


ネタバレ終了。


というわけで、草なぎ剛大沢たかおは時代劇が似合わないし、武士がその時代に生きた証として写真を撮るというシーンや携帯電話などオリジナルになかった要素が説明的で長いし、全体的にセリフのやりとりに「間」が多くとられており、そのせいで会話のスピード感やテンポがなく、笑いの要素はかなり減っていて、最後の戦に行く前のどーでもいいやりとりなど増やし、さらに重要なシーンを変更したり、削ったりして、一つの作品として、納得いかない部分もあったりした。あ、あと、血が出ないのはダメ。血出せ。スクリーンが血で染め上がるのをオレは観たい!


ぼく自身が映画を見終わって思ったのは「これリメイクする必要あったか?」であった。山崎監督が『戦国大合戦』を好きなのは、『オトナ帝国の逆襲』っぽい『ALWAYS』を観れば分かる事だし、何よりもこの人、結構、『マトリックス』や『M:I-2』っぽいこと『Returner リターナー』でやってたり、ほんの数分だけだけど『ゴジラ』を『クローバーフィールド』風に撮ったりもしてて、結構好感持ってたりもしたんだけどなぁ…


やっぱりよほどの事がない限り、無駄のないものに、何かを足すというのはダメなんだなと思いました、長々書いて来て、結論それかいという感じですが、すいません。あういぇ。


【追記】草なぎ様がビールを飲むシーンで意味もなくドキっとしたのは、ぼくだけではあるまい。

*1:ご他聞に漏れず、ぼくも『スカーフェイス』は、DVDを買い替えたほど大好きである

*2:あとはFUCK言いまくりとか、コカインがハリウッドでまん延してたとか、政治とか、さらにバイオレンスが増えたとか、クライマックスの銃撃戦とか、いろいろあるが、その辺は割愛する

*3:『暗黒街の顔役』も後追いという形で観たが、これまた大好きな映画である