新潟県人が観る『おにいちゃんのハナビ』

おにいちゃんのハナビ』鑑賞。

奇しくもこの映画の元になったエピソードの時の片貝花火を5年前に見ており、地元のテレビで特集されたりもして、さらに今年の9月10日に5年ぶりに片貝花火に行ったこともあって、ちょっと他の人と観るスタンスが違うかもしれないが、その辺を差し引いてもウソ偽りなくいい映画だった。

というのも片貝に隣接した山古志村を舞台にした『マリと子犬の物語』が散々たる出来だったからで、これ新潟を舞台にしてやる意味あんのか?という印象しかなく、それに比べると『おにいちゃんのハナビ』はこのエピソードをしっかり映像化してやろうという心意気が映像全体に感じられた。

何よりも感心したのは片貝まつりも含め、片貝町の描写がかなり細かく描かれていたこと。新潟弁はおろか、長岡弁など、細かいニュアンスもちゃんと取り入れ、ホームセンターから病院までとにかく新潟であることにこだわっていることが伺える。実際の映像も使用しているのだが、冒頭とクライマックスに出て来る片貝まつりのお祭り感を見事に再現出来たことは映画に圧倒的なリアリティを与えることになった。見てて驚いたと思うが翠嶂会のようにホントに片貝ではああやって一升瓶をグビグビ飲みながら、トランスし続けるまで踊り狂う人々が毎年いるのである。

そもそも片貝まつりという祭り自体が花火を個人で奉納して打ち上げるという独特の文化で、一発一発打ち上がるごとに「この花火はこれこれこういう理由があって打ち上がります!」というナレーションがあるので、その花火を打ち上げるまでのプロセスをきちんと映画化すれば、感動的な話になるに決まっているのだ。それが「死んだ妹に打ち上げる花火」の話だったらなおのこと涙腺が破壊されるに決まっている。

個人的にニヤリとした部分は成人の花火を打ち上げる翠嶂会にチンピラがいたこと。片貝に行った人やドキュメンタリーを見た人なら分かると思うが、とにかくあの祭りはやたらとチンピラが多く、しかもウザイくらいの熱さを秘めている(笑)屋台の店番してるヤツでさえ、明らかに未成年なのにタバコを堂々と吸ってたりするくらいだ。そのチンピラがちゃんとよそ者である主人公に「てめーみたいなよそ者を入れるわけにはいかねぇんだよ!」とすごむシーンはホントにこんなことになるんじゃないかと思って、ニヤニヤしてしまった。恐らく監督も取材に行った際に「こういうこと言いそうだなぁ」と思ったに違いない(笑)

ぶっちゃけ感動的な場面で感動的な音楽がこれでもかと流れるところはやりすぎだなとも思うし、泣いてる人の顔をドアップにするという昨今の悪い演出もところどころにある。新潟市内でヤンキーに絡まれるシーンに至っては、ステレオタイプでリアリティのかけらもなく、むしろそんなシーンいるのかとも思わせるし、何よりも東京から来たとか引きこもりとか設定を都合のいいように変えてる節もなくはない。

それでも死に至る場面や葬式のシーンはかなりさらっと描かれたり、ここぞという泣きのシーンでは背中だけを撮ったり、タクシーの外から撮ったりと、単なる「難病モノ」にはしないぞという部分も見受けられた。

高良健吾は演技力というよりもそのまんま素朴にこの人柄を演じ、谷村美月も時折やり過ぎ感は目立つものの良い演技をしていた。宮崎美子や大杉蓮は言うまでもない。

ということで、はいはいどうせ難病ものなんでしょうという感じで観たのだが、意外と楽しめた。それでも個人的には嫌いなタイプの映画なのだが、スタッフ、キャストがしっかりと良い仕事をしている良い作品。特に片貝花火に行かれた方は観に行くとよりいっそう楽しめると思う。

ちなみにぼくは今年の片貝花火でビールばっかり飲んでたのであった、あういぇ。