ぶっちぎりで変な映画『ジャッキー・コーガン』

ジャッキー・コーガン』鑑賞。

刑務所から出所したばかりのチンピラと犬泥棒という妙な商売で生計を立てているイカれ野郎が、ジョニーという男から強盗計画を持ちかけられる。それはレイ・リオッタ演じるマーキーが運営するマフィアの賭場を襲うというもの。素人同然の彼らだったが、過去にマーキーが被害者を装い賭場を襲ったことに目をつけ、絶対に組織とつながりがない素人が襲ったら、今回も疑いの目がマーキーにいくとふんだのであった。組織はマーキーを痛めつけて事の真相を突き止めろと殺し屋ジャッキー・コーガンに依頼するのだが……というのが主なあらすじ。

傑作だと思うが、ぶっちぎりで変な映画だった。去年でいうところの『ドライヴ』とか『ブラッディ・スクール』のようなジャンルすら壊そうとしている作品。今年でいえば『フライト』みたいな「おもてたんと違う!」というか。ティーザーはもちろんのこと、邦題から売り出し方からなにからなにまで間違ってる気がするくらい変である。先に観た後輩が「とにかく変です。変としかいいようがない」と言っていたが、いま思えばそれは間違ってない表現だったといえる。とにかく変な映画としか形容できない映画なのだ。

冒頭、アメリカンドリームは紙くずとなり散りましたということを象徴した詩的なシークエンスが登場し、それがそのまんまタイトルバックになってる時点で「おや?」と思ったのだが、本編はそれ以上に歪でギャング映画の定石通りにならない。というか、なってくれない。

まず、この作品。ブラピはほとんど活躍しない。主人公の名前が邦題になっているが、上記のあらすじからも分かるように、まずはチンピラ二人のおぼつかない強盗計画を延々と見せられ、映画がはじまって15分もの間、ブラピは顔すら出さない。

さらに賭博場を襲撃するシーンでは、ちらっと人質が何かをするのかなと示唆するカットがあらわれるも何もしない。会話のシーンがかなり多いが、みんながみんな一向に本題に入ろうせず、本題に入ったと思ったらすぐに次のカットになっている。音楽も申し訳程度につかわれているが、基本的にはアメリカの政治/経済状況がラジオで延々と流れ続けるだけ。

作品は淡々としており、派手なシーンは一切ないが、中盤の銃撃シーンは空間が歪むほどのスローモーションだけをつかい、執拗に人が死ぬところを美しく描く。カメラワークも独特であり、ジャームッシュ作品のように横移動をメインにしてるのかと思いきや、車のドア目線という奇怪な視点があったり気が抜けない。じゃあ詩的で美しいアート映画風なのかと思えば、バイオレンスはかなり激しく、殴られ続けたある男が血と共に嘔吐するなど、リアリティが重視される。さらに主人公が誰であるかが明確ではないため、まったく関係ないラリッた男の一人称が過剰に描かれるなど、どこをとってもつかみどころがないのである。

しかしだ。この作品がもしウエルメイドに撮られていたとしたら、どうだろう?凡百のギャング映画の一本として記憶の彼方から消し去られていたに違いない。わりと評価は高いように思うが、賛否両論に別れて当然の内容といえる。おもしろいか?と聞かれたら素直に首を縦に振ることはできないだろう。

というわけで、その変さが魅力のこの作品。ブラピ目当てに行くと痛い目に遭うが、シネフィル系の人から秘宝系の人まで楽しめること請け合いなのでとりあえずはおすすめしておく。ちなみにぼくは年間ベストに食い込むくらい気に入った。

関連サイト

町山智浩さんによる『ジャッキー・コーガン』ちょっとだけ解説 - Togetter

これを知っててもやっぱり変な映画だった。