究極のミニマリズム『マザーウォーター』

マザーウォーター』をレンタルDVDにて鑑賞。

ウイスキーしか出さないお店を構える女をはじめ、銭湯、喫茶店豆腐屋などを営んでいる登場人物の日常を淡々と綴った作品。

かもめ食堂』から端を発した「企画:霞澤花子」によるスローライフ系譜の作品群は一通り追いかけて来たが、ついにこの境地にたどり着いたか!という感じでかなり驚いた。この市場を切り開いたことで、「誰が観に来るか?」「誰のために作っているのか?」がハッキリしているので、理屈や言葉はいらなくなってしまった。もう「こういう雰囲気だけあればそれでいい」と割り切ってる感がある。

『めがね』を観た際、「『かもめ食堂』も説明を排した、とてもミニマムな作品だったけど、『めがね』はさらにそこから削ぎ落として、削ぎ落として、最小限の表現でもって、再び『かもめ食堂』をやろうとしていたので驚いた。人物の説明は一切ないどころか、説明的なセリフは一つも見つからず、クローズアップもほとんどなければ、感情も込めずに、淡々とバケーションの様子を映し出して行く」と書いたのだけれど、ハッキリ言ってこの『マザーウォーター』はまたさらにそこから削りに削った究極のミニマリズムを見せてくれる。これに比べれば『かもめ食堂』はレニー・ハーリンの映画か!と言いたくなるくらいである。

もはや『マザーウォーター』にはプロットめいたものはおろか、会話もほとんど登場しない。人々が文字通りすれ違い、あいさつをし、飲食をするだけである。八割近くロングショットのため、役者の細かい表情も一切写らない。今まではフードコーディネーターを招いて作った料理もこれ見よがしに写していたが、今作ではそれすらもない。バケーションのために訪れたなにがしも完全になくなっていて、この空間にはこの7人たちしかいないのか!というくらい余計なものは一切写らない。しいて言えば、音楽がジャジーでベースラインが派手だというくらい。

じゃあ代わりに何が写っているのかというと、町の一画と、そこにいる人――――本当にそれだけなのである。

ハッキリ言ってこんな映画は今まで観たことがない。もちろん『かもめ食堂』という前フリがあって成立する世界であるが、登場人物たちがロングショットで豆腐を食べる様を長回しするだけとか、ウイスキーを飲んでタバコを吸うだけとか、もはや何かを語らなくてはならないという「映画」という概念を越えた「空気」のようなものにまで昇華している。その空間に溶け込ますためなのか、個性的な演技を見せるもたいまさこ市川実日子、さらにキョンキョンなど、居て意味があるのかというレベルにまで演技をさせてもらっていない。唯一、加瀬亮はその場にあわせた演技メソッドで見事なトーンとリアクションだが、とにかく役者の演技も含め、ここまで何も起こらないことを意識したのも珍しい。いちげんさんお断りどころか、常連さんですら度肝抜かれるくらいだろう。

というわけで、ついに来るところまで来てしまった感のある『マザーウォーター』だが、それはこの系譜の行き詰まりを示しているようでもあった。ヘタにエモーショナルにしたことでうさん臭くなった『プール』からこの方向に修正したのだろうが、バケーションを取り払ったことで、町には7人しかいないという奇妙な絵面になったし、生活を描いた映画なのに、まるで生活感がないという欠点も出来てしまった。

ただ、この映画。ぼくはとても好きだ。むしろ、この系譜の中だったら一番と言ってもいい。ウイスキーしか出さない雰囲気の良いお店でウイスキーを嗜み、タバコを吸いながら、ジャズを聴く――――そんな時間を楽しむように*1、この作品も楽しむのがコツである、あういぇ。

「マザーウォーター」 [DVD]

「マザーウォーター」 [DVD]

*1:ぼくはタバコは吸わないが