文字通り「同じ毎日」が繰り返されたらどうなるか?『恋はデジャ・ブ』

『恋はデジャ・ブ』鑑賞。夏にBSで放送したヤツをやっと観た。

よく「たいして変わりもしない日常が延々続いていくのか…」なんて言い回しがある。それを変わらない幸せとするか、退屈な日常と取るかは人それぞれだろうが、時にそれは「なんのために生きているのだろう…」と生きている意味さえ見失うことになる。この退屈な日常が続いていくなら死んだ方がマシだと思う人もいるだろう。

『恋はデジャ・ブ』はその退屈な毎日が延々続いていくというお話だ。しかも、文字通り「同じ毎日」が繰り返されるのである。

天気予報士のフィルはプロデューサーのリタとカメラマンと共に、とある田舎町にやって来た。ここでは2月2日にグラウンドホッグ・デーという春のおとずれを告げるお祭りがあり、そのリポートをフィルはすることになった。天気予報士のくせにスター気取りで、田舎町に来ただけで、彼は不満タラタラ。いざ2月2日が来てもレポートにやる気はなく、プロデューサーとカメラマンはその態度に反感を覚える。そんなことはおかまいなしとフィルは仕事が終わってとっととこの町を出ようとするも、吹雪のせいで通行止め。結局、フィルは居たくもない田舎町にもう一泊することになってしまう。ところが目覚めると、再び2月2日になっていた……というのがあらすじ。

映画の中でもセリフとして出て来るが、人生最高の日が繰り返されるならまだしも、何もすることがない田舎町での2月2日が延々繰り返されるので、映画の前半は基本的に何も起きず、むしろ、若干退屈である。だが、この退屈さを観客と共有することで、彼はこれからこの日常に閉じ込められてしまうのかという仕掛けになっているのが演出の妙。退屈ではあるがワンカットが長いため、それなりに緊張感を持って進んでいく。

自己中心的で他人のことを心の底から思いやることが出来ないというキャラクターを演じたビル・マーレイはこれ以上ない適役。相手役の知的なアンディ・マクダウェルも気の強さと女性らしさを交互に見せ、そのギャップで観客をノックアウト。時間が繰り返されるというルールを十二分に使い、時にジャンプカットのようにシーンを連続でリフレインさせて、テンポよく笑わせてくれる。

が、映画は中盤から後半にかけて、哲学的な要素を含み、あれよあれよと予想もしなかった方向へと転がっていく。

つまらない日常が延々続いていくというが、もしホントに同じ毎日を繰り返すことになってしまったらどうなるだろう。どれだけ今を生きることが大切であるか、どれだけ明日がやってくることが幸せなことかと思うはずだ。そして同じような毎日をどのように過ごせば楽しく生きられるだろうか……作品はそれを下敷きに、人間はどうやって生きていったらいいのか?という普遍的な部分にスポットを当て始める。the pillowsに“その未来は今”という歌があるが、まさに「どんなにつまらなくってもその未来は今ここに繋がっている」ということを描いているのである。

というわけで、タイトルだけでは食指が伸びないだろうが、観た後にそれぞれ小さな何かが残ること必至の良作。映画の舞台は2月なので、これからの季節に部屋でまったりと観るのもいいだろう、あういぇ。

恋はデジャ・ブ [DVD]

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