永遠のように感じられる一瞬を求めて『ブルーバレンタイン』

ブルーバレンタイン』鑑賞。新潟ではかなり遅く今頃の公開。

格差を乗り越え「愛」を貫き通して結婚した夫婦。妻は頭も良く学歴もあり、医者を目指して猛勉強し病院で働くエリート。一方夫は朝からビールを飲みながらペンキ塗りの仕事をし、昼すぎには子供の面倒をみている。情熱的な恋愛を成就させ結婚までたどり着いたが、愛を求め続ける夫と、現実的な妻は結婚して数年、完全にすれ違っていた。かつての愛を取り戻そうと夫は場末のラブホテルへ妻を誘うのだが、道中にいわくつきの元カレと遭遇してしまい……というのが映画の出だし。

倦怠期を迎えた夫婦の終わりと、これから結婚に向かっていくラブラブな過去を平行して描くというユニークな構成。『500日のサマー』の大人版というか、あれをもっと地に足の着いた感じに仕上げた作風。『500日のサマー』が『アニーホール』だとすれば、『ブルーバレンタイン』は『インテリア』というくらいシリアスで重厚で切ない。

平均のワンシークエンスが何分なんだよ!というくらい執拗に長く、2時間で一泊二日の出来事を描いているため、ほぼリアルタイムでその夫婦の終わりを体感しているような気分になった。実際は彼らの過去も頻繁に導入されるため、現在パートは短いだろうが、例えばラブホテルに行ってからもリアルタイムでことが始まり、そしてことが終わるので、その写実感みたいなものはハンパじゃなかった。「あいのり」が恋愛ドキュメンタリーならば、こちらは恋愛フェイクドキュメントと言えばいいだろうか。余計なセリフは一切なく、説明も皆無で、これだけのリアリティ溢れる脚本とそれに合わせた役者たちを造けいからよくぞ作り上げたと拍手を送りたい。

基本的にこれと言ったことは何も起こらず、二人の男女がワーワー言い合ってるだけだが、記憶の中のみ輝いている恋愛の盛り上がりを示した過去の映像は16ミリをブローアップしたざらついたタッチで、恋愛のドキドキ感を揺れるカメラで表現。そして結婚が破綻に向かっている現在では極端なクローズアップでぶつっと切り取り、それぞれの心情にあわせて写すという凝りかた。だが演技やセリフ回しはぼくらが普段するような日常における動作を何の誇張もせずに行っているため、映画は「リアル」と「映画的なフィクション」のはざまで揺れ続ける。

よく役者は裸にならなければダメだ!と言われるが、裸も裸、丸裸になって役と向き合ったライアン・ゴズリングミシェル・ウィリアムズは完璧。ここまでカメラの存在を感じさせない演技は見事で、演技だけ切り取ったら今年で一番良かった。すべての感情をそれぞれ5段階くらいで演じ分けていたのではないかというくらい、役者の演技のすべてを見てしまったきらいがある。

ただ、異常ともいえるワンシークエンスの長さが写実的であり緊張感を生んでるわけだが、これが一長一短で、明らかに長く感じてしまったシーンがあったのも事実。2時間弱のランタイムだが、90分くらいタイトであれば、映画としてはよかったかもしれない。まぁ、ダラダラしているところも、そのまんま夫婦関係を表していたり、着かず離れずな様子を写しているようで興味深かったが。

というわけで、映画としておもしろい!という部分は一切ないものの、観る価値は充分にある力作。現代アメリカ版『浮雲』と言って差し支えないような出来だったと思う。ラストも気が利いててねぇ……だって、幸せな瞬間を切り取って花火が上がるんだよ、花火って一瞬の美しさを象徴してるもんじゃないか……あういぇ。