もし『街の灯』が大コケしていたら?『アーティスト』

『アーティスト』鑑賞。第84回アカデミー作品賞受賞作品。

サイレント映画からトーキーに移行すると同時に、人気スターからどん底に落される男優と、その彼と運命的な出会いをする素人がトーキーを象徴するスターとして躍進していくさまを描いた作品。

徹底的にサイレント映画を研究しつくしたような作りになっていて、映画史、そして映画そのものに対する愛が頭からしっぽの先まで詰まった作品であり、それでいて、固有名詞がほとんど登場しないという珍しい作品でもある。そう言った意味ではこの作品はパラレルワールドというか、架空のお話として捉えるべきなのかもしれない。

徹底したサンプリングとサイレントという手法に対してのやっかみがあるかもしれないが、そんなの知ったことか!オレは古き良き時代の映画が好きなんだよ!といわんばかりの直球っぷりが小気味良い。元々カラーで撮られた作品だが、後にモノクロに変更された。その決断は正しかったように思う。タランティーノが『グラインドハウス』を作ったように、ミシェル・アザナヴィシウス*1も『アーティスト』を同じような感覚で作り上げたのだろう。

特に中盤、映画がトーキーに移行してしまったことで追いつめられ、悪夢を見てしまうというシーンは、サイレントであることがいかんなく発揮された屈指の名場面であり、ここだけでも観る価値が充分にあると言える。つまりその手法が奇を衒ったものではないことがよくわかるのである。

かつてのスターと新人のなにがしということで、作品は“ライトな『ライムライト』”であり、そのまんまチャップリンの半生をある程度ピックアップして、映画用にリライトしたのがベースになっているように思える。大スターであったジョージを助けたいというペピー・ミラーが起こした行動は『ライムライト』でキートンを起用したチャップリンと重なる部分があり、もっといえば、この作品はチャップリンがトーキー全盛の時代にあえてサイレントで撮った『街の灯』が、もし大コケしていたらどうなっていただろう?ということをシミュレートしたような作品になっているのだ。

ところが、映画史をなぞるという行為はこれだけで終わらない。衝撃なのはラスト。とある映画をモチーフにしているのだが、これにぼくは気持ちよくやられてしまった。なるほど!そこも含めた映画史賛美映画なのだと……それはサイレントからトーキー、そして……という映画史の流れを汲んだものなのだが、それは是非映画を観て確認していただきたい。

というわけで、ある程度、外側の知識を必要とする作品だが、そんなことを知らなくてもしっかり楽しめるようになっているのもポイント。1時間40分とサイレント映画としては長尺だが、それに耐えうるテンポと展開を持った作品。

マリリン 7日間の恋』も演技メソッドに対して、新しいものと古いものがぶつかり合うという内容の作品だったが、これと『ヒューゴの不思議な発明』を含め、近年、3Dやらなんやらの台頭で改めて、映画というものを見つめ直そうという作品が増えてきているように思う。そういった流れの一本であり、これらが今回のアカデミー賞でぶつかりあったのは感慨深いものがあるのではないだろうか。

まぁ、それはぼくだけでなく、映画ファンにとってありがたい風潮なんだけどね。

*1:名前覚えにくい