「映像は良いのにお話が…」という評価『パラノーマン ブライス・ホローの謎』

パラノーマン ブライス・ホローの謎』をDVDで鑑賞。

映像のクオリティの高さはハンパじゃない。

表情の豊かさ、改めてアニメ化された日常の一コマは見ているだけで気持ちよさを感じ、それを援護射撃する箱庭つくりの細かさは筆舌につくしがたく、その気持ちよさをジャマしないように地味に使われてるCGなど、改めてストップモーションアニメの良さを見せてやろうという気概に満ち満ちている。

そして映像に気をとられがちになるこのジャンルであるが、ホラー映画オタクという主人公の設定もこれまでになく新鮮だ。オマージュ溢るる映像表現は涙腺が緩むほど愛情がつたわる。ギャグもすべりしらずで冴え渡り、スラップスティックなコメディとストップモーションアニメの相性の良さはバツグン。主人公が恐らく監督自身だったのだろうが、そういった思想的な部分も含め、ここにきて物語と技術が渾然一体となった作家性豊かな作品が出てきたなと素直に感じた。

だが、映像表現が突き抜けている分、設定に個人的な引っかかりを覚えた。


ここからちょいネタバレ。


とにかく気になったのは「幽霊が見える」という主人公の設定だ。

幽霊となって家に取り憑いているおばあちゃんと話ができるという意味で設定されたのだろうが、この能力が映画のなかでさほど発揮されず、観ている側から「もはや幽霊が見えるとかどうでもいいじゃん」と思った。死んだ犬が見えることによって友達ができるなど、一応ほほえましいエピソードが盛り込まれているが、魔女を封印しろというおじさんも死ぬ前にそのことを主人公に忠告しており、別に死ぬ必要はなかった。いってしまえば、それ以外にもっとその能力をつかって、他の人とは違う特殊な子供なんだということをアピールしてもよかったのではないか。物語の後半、結局街中にゾンビが溢れ出すのだが、その主人公の言ってることはないがしろにされるし、普通の人にも見えはじめるため、あまり必要性を感じなかった。要はもっとその能力を存分に使え!!!ということである。

『パラサイト』のイライジャ・ウッドと役回りは一緒であるが(父親に異常に冷たく突き放されるというのも一緒だ。アメリカの親のパブリックイメージってああなのだろうか)、彼の言ってることは真実だったんだ!!というシーンがひとつもないので、そのあとの主人公の行動にもみんなが疑問を覚え、すんなりことが進まずイライラした。そしてそれを兄弟や友人が延々と説教して説得するというくだりも……なんであれだけ映像がしっかりしてるのに肝心なところは長いセリフなのだろう……まぁこれは受け取り方によっては幽霊が見えた(才能があった)としてもこの世界じゃクソの役にも立たないという皮肉のメタファーなのかもしれない。だが、町の人にその能力がもてはやされるという『シザーハンズ』的なくだりがあってよかった。あと今年公開された映画では『クロニクル』にもそういうシーンがあったが、そういった基本的な部分がしっかりしていたらこういう感想は持たなかったかもしれない。

これは『ヒカルの碁』というマンガを読んだときと似ている。

このマンガは普通に暮らしているなんてことない小学生のヒカルくんが佐為という天才囲碁棋士の霊に取り憑かれ、たまたま塔矢アキラという天才小学生棋士に佐為の力で勝ってしまったことにより、囲碁の世界に入っていってしまうという物語である。

物語の序盤から異常な吸引力を持ち、囲碁のことを知らなくても楽しめるようにできているのはもちろんのこと、なによりも普通の小学生が霊の力をつかって勝ち進んでいくというところにカタルシスがあり、自分もふくめ、周りもその展開がおもしろくて楽しみに連載を待っていた。

ところがこのマンガは途中からヒカル自身が囲碁に興味を持ちはじめ、自分の力で勝ち進んでいきたいという風に思うようになる。これがぼくにはかなり不満だった。ひとことでいうなら「もはや幽霊が見えるとか取り憑かれるとか全然関係ねーじゃん!」であり、確かに囲碁の世界に興味を持つきっかけになったかもしれないが、それであれば他にも物語を押し進めるやりかたはいくらでもある。囲碁の天才棋士に取り憑かれたという強力な設定ではじめたなら、それに見合うような展開や物語にしないと最初に読みはじめた読者は納得しないのではないかと思った。実際にぼくはこの展開になりだしてからすぐに読むのをやめてしまった。これも連載を続かせるための苦肉の策だったのかもしれないが。


ネタバレ終了。

今回この作品を観て思ったのは、なんで映画によって「映像は素晴らしいので脚本がゆるくてもいい」という評価と「映像は素晴らしいのに脚本がちょっとなぁ……」という評価に分かれるのだろう?ということだ。例えば今年公開された映画でいうなら前者は『パシフィック・リム』や『マン・オブ・スティール』であり、後者だと『パラノーマン』や『シュガー・ラッシュ』がそれにあたる(個人の感想です)。

前者は「こういう映像がやりたい!」というのが先行していて、そこに物語がおまけのようにくっついてる感じだ。だから物語が多少ユルくても不満は残らない。後者は逆で「こういう物語をこの映像で作りたい」というのに趣をおいている気がする。ゆえに観ている人は物語にちょっとでも引っかかりを覚えると入っていけないのかなとなんとなく思った。

とはいえ、町中がゾンビだらけになってしまったらオタク以外は何の役にも立たないとか、カーチェイスがかっこいいとか燃える要素も多分にあるのでもちろんおすすめ。撮影風景の映像なんかを観るとこういうことをいうのが憚れるくらいすごい。全体のバランス等ふくめ傑作だと思うが、なんかこう惜しいな……という風にも感じてしまったんだなぁ。