片腕マシンガールに蹴られたいっ!『仮面ライダーW FOREVER AtoZ/運命のガイアメモリ』

仮面ライダーW FOREVER AtoZ/運命のガイアメモリ』をディレクターズカット版で鑑賞。

崖の上のポニョ』のメイキングにこんなシーンがあった。宮崎駿がポニョの造形に悩んでいたところ、たまたまスタッフが「まったくいうことをきかないんですよねぇ」といいながら娘の写真を見せた。宮崎駿はにんまりとした表情を浮かべ「かわいいねぇ」とつぶやき、そこから親のいうことをきかず自分の意志を貫き通すポニョを一気に書き上げた。

これを見たときに「もしかしたらこの人は自分の言うことをきいてくれない娘にふりまわされてみたいのかな」と思った。要するに創作者は少なからず「こういうキャラクターにこういうことをされたい願望」みたいなものがあって、それを作品を通して実現している節があるんだなと気づかされたのである。つまり『カリオストロの城』でクラリスに「おじさま」と言われたかったのは何を隠そう宮崎駿本人なのだ。

前置きが長くなったが『運命のガイアメモリ』を観たときにこのようなことを思い出した。

もちろんこれを他の監督で言い出せばキリがないわけだが、特にこの作品は劇場版仮面ライダーという体裁のなかでやっているので、それが余計に目立つ。「型があるから型破り」とはライムスター宇多丸の弁だが、型破りどころか型のなかに無理矢理収めてしまったために、そこだけが歪で妙なバランスになっているのだ。

例えば杉本彩が主人公のひとりであるフィリップに対して「坊や」と執拗にいうのだが、これは監督の「杉本彩に坊やって呼ばれたい願望」の実現だ。それが証拠に劇場公開版ではこのふたりがホテルで会うシーンがカットされており、つまりストーリーにはそこまで影響しないことがよくわかる。脚本家も含め、そんなシーンを入れてまでわざわざ「坊や」と言わせたかった監督のこだわりたるや尋常じゃなく、かなりこの作品のなかで浮いている………ように感じられた(ちなみに音声解説で杉本彩をキャスティングした理由について「十代の頃に見てキレイだなと思った」と言っている)。

さらに八代みなせの存在。映画ファンにとっては「片腕マシンガール」といったほうが早いだろうが、すらっとした体型から繰り出されるキックアクションがメインで、エロい衣装も相まって「脚」がかなり目立つ。シンプルに「片腕マシンガールに蹴られたい」ということなのだろうが、あまりにも魅力的に撮影されているので、そこにフェティシズムがなかったとしても脚が気になって気になって仕方がない。興味がなかった人にそこまで思わせてしまう監督のこだわりはその名前を検索すると関連ワードに「太もも」と出るくらいなので、相当だといえるし、ファンの間でも有名な話なのだ。

逆にいえば杉本彩に「坊や」と言われたい十代やスラっとした脚の人に蹴られたいという人は一定数いるわけで、その細かいこだわりが作品を支えているともいえる。元々主演の桐山漣仮面ライダーへのあこがれが強く、監督も仮面ライダーのことが大好きで是非撮ってみたかったという人物だ。そんなふたりの「あまり一般的には伝わらないかもしれないがこんなことしたかった願望」が積み重なり、傑作として昇華したのが『仮面ライダーW』であるといっても過言ではない。よくよく考えたら、当たり前のことを書いている気もするが、そういった余計な部分が目立ったからといって作品の価値が下がるとは思わない、むしろそれが他にはない魅力として後世に語り継がれ、公式で無料配信されるまでに至ったのだ………というのはさすがに暴論かもしれないが、圧倒的なバイクアクションもふくめ、日本の土壌にあったアクション映画を観れてよかったというのが正直な感想である。

しかし、いくらなんでも翔太郎たちがやられているシーンを太もも越しに撮るのはやりすぎかと………