ハードボイルド

ハードボイルド (hardboiled) とは、元来は「堅ゆで卵」(白身、黄身の両方ともしっかり凝固するまで茹でた鶏卵)のこと。転じて、ミステリの分野のうちでも、感傷を排して、ことさらに文体や主人公の性格、行動などの冷静さ、一部には冷酷を装った内容をもつ作風の小説や映画のことをいう。(ウィキペディアより)

昨日の夜続き

彼女を迎えに行く、その前に雑貨屋さんをはしご、かっこいいライターがあった、ガスライターだったら買ってもいいかも、オイルライターはダメなんですよ、匂いが葉巻についちゃうから、

まずは2人でゲオに行く、レンタルが半額だったので、いろいろ借りた。彼女はロコフランクを2枚、私はマルーン5The Pillowsのセルフカバーアルバムを借りました。最初はアンダーグラフのニューアルバムとロストインタイムを借りようとしたんだけど、『あ、それ両方持ってる』ってあっさり言われたので、今度持ってきてもらう事にしましたよ。

んで、家に着いて、早速観賞…何をって?

名探偵コナン』の実写版さ!

え〜っと分かってますよ、こんなもん、駄作に決まってる(笑)でも、これは笑うために見たいじゃないですか、彼女もコナンの大ファンだし、私も22巻まではかなりセリフも完璧に入ってます、後は飽きたんですね、しかもね、コナンはね、私4巻くらいから持ってましたよ、まだアニメ化される前に買ってたんですよ、青山剛昌のファンでしたし、でも飽きたんですねぇ。

まぁこのドラマがですね…

コントですよ!コント!

完全に視聴者をナメてた、5分に1回突っ込みどころがあるくらい、話やら細部が矛盾だらけなんですよ、園子の聞き分けが妙によくなったり、新一は無茶言うし、目暮は変な言い回しだしね、まぁ言い出したらば、キリがなさすぎる、そもそもなんで全員が犯人だ見たいな目線を送ったりしてるの?監督も脚本も含めて、完成度はアマチュアレベルですよ、だからこそ、つまんなくはなかった、かなり笑えた。工藤新一を演じた小栗旬は頑張ってましたけどね、う〜ん今ひとつかな、蘭なんてまったく似合ってなかったし、目暮は太ってなかったしね、漫画やアニメの実写化はむずかしいですよ、褒めどころは陣内孝則毛利小五郎と園子を演じたイワマユがすごくよかった、この2人はハマり役でしたね、もう出てきた感じと第一声で『完璧』って思いましたもん、彼女もそう思ってたらしい、そういえば今日は彼女と妙に気があったな、全体的に。

見ながらコナンについて調べて、いろんなリンクに行った、ウィキペディアなんだけど、シャーロックホームズを調べるとすごい事になってる、この記事書いた人はすごすぎるな、これで辞典作れるんじゃないのか?と思うほどだ、ホームズが薬物依存症だなんて知らなかったよ、まぁホームズ読んだ事ないけどね、それでマーロウに行き着いた、チャンドラーってあんまり本数を書いてないんですね、特に長編はね少ない、よろっとハードボイルドって奴を体験してみますかな。バーボン、よれたシャツにスーツ、タバコ…う〜んマンダム!

彼女を帰したら腹が減ったので、お茶漬けを作る、中華だしを入れて、塩を入れて、ごま油を入れて、ネギを刻んで、んで仕上げに冷たいウーロン茶をかける。冷やし茶漬けですね、無茶苦茶うまかったので、是非に。

缶チューハイを2本飲んでミクシィをいじくる、マイミクが一気に増えた、まぁ友人がやり始めたり、続々発見しただけなんだけどね、コミュを作ったり、探したり、入ったりして、寝た。

お茶漬けを喰らい『長いお別れ』を読み始める、やはり読みやすい文体はいい。これは私の人生のベスト5の1本に君臨する『ロンググッドバイ』の原作である。この作品は20回近く見ているからストーリーが分かってる、ストーリーが分かっているのに、ぐいぐい引き込まれて行ったのは、やはりこの人の文がそれだけの力を持っているという事になる、あっという間に100ページを読んだ、いやぁ、おもしろい、とにかく文体に人間そのものが溢れている、ハードボイルド小説がミステリーと違うのは、つまりそういう事なんだろうと思った、事件そのものに比重が置かれてなくて、その周りにいる人間を描いている。

100ページまで読んだのだが、とてもビックリした事があった、文学界のハードボイルドってどう言う事かあまりわかってないけども、映画界においてハードボイルドはハンフリーボガードだった、コートを着て、女と銃と酒、男臭いのがハードボイルドであり、それを見事に体現していたのがボギーだったのだ、つまりボギー=ハードボイルドの定説であり、誰もがそれをハードボイルドだと思っていた。

アルトマンの『ロング・グッドバイ』は前にも書いた通り、ハードボイルドのそれとはまったく違う作品だ。マーロウに女の気配は皆無、飼っているネコに翻弄され、ヨレヨレのシャツを好み、拳銃を抜く気配もない、それ故、公開当時はマーロウファンに評判が悪かったが、時が経って、『この作品が一番マーロウっぽい』という評価になった、

『長いお別れ』を読んでビックリした事、それは…

ロング・グッドバイ』のエリオットグールドが一番マーロウに近い

という事である、原作を読む限り、マーロウは至って普通の人である。元刑事だから、法律も知っていて、頭がちょっと他の人よりキレるくらいかな、ダンディなイメージもなければ、ボギーの顔なんてましてや浮かばない、だからと言って、よれたシャツや猫を飼っているという描写も出ないが、どちらかと言うと頼りなく、なよなよしてるようなイメージもある、これは私が映画版を見まくったせいではない、まぎれもない事実なのだ、だから、アルトマンが撮った『ロング・グッドバイ』はハードボイルドの定型を破ったパロディ作品ではなくて、

原作からイメージされるマーロウ像をハードボイルドというジャンルを無視して、人間の一人として演出した作品

という事になるのだ、これはあくまで私の解釈にすぎないが、もちろんアルトマンは異端児だから、そういうハードボイルドからの逸脱を狙った節もあるかもしれない、ただ、映画版の『ロング・グッドバイ』は、異色作であると同時に、ものすごく原作に忠実な作品である事もわかった。だからこそ映画版の『ロング・グッドバイ』は長く後世に語り継がれる作品でもあるわけだ。原作をちょこっと読んだ段階で映画のすごさもわかったし、原作もより楽しめるという結果になり、私としては大変に嬉しいハプニングであった、一気に読んで『大いなる眠り』とかも手を出そうと思っている。