イエスマン“YES”は人生のパスワード


23日夜
BSマンガ夜話youtubeで観まくる。実はこの番組、一回も観た事がなかったのだけれど、『弥次喜多 in DEEP』を検索した時に出て来て、そこでの夏目房之介の解説に「おおー!すげー!」と唸ったので、他の回も観る事にした。『みどりのマキバオー』や『幽遊白書』の解説がすごくて、これの本を出せばいいのにと思った。んで、調べたら、本はおろか、DVDも出てたという(笑)

童夢』の回が観たいが、なかなか無い。DVDになってるようだが、廃盤になったのかな?まだプレミアはついてないみたいだから中古で買おうかなぁ。ニコ動は削除されてるみたいだし。『童夢』はホントに死ぬほど好きなマンガだから買っちゃおうかなぁ。

24日朝
9時15分より『イエスマン “YES”は人生のパスワード』鑑賞。自分に関わるもの全てに「NO!」と言って来た男が、それを「YES!」に変えるとどうなるか?というのを実話を元に描いた作品。

日本において、イエスマンという言葉はあまり良い意味ではないのかもしれないが、サブタイトルがダサいので、そのまんまでも良いような気がした。まぁ、それは仕方ないだろう。

ジム・キャリーは『エターナル・サンシャイン』や『ナンバー23』よりも、こちらのハイテンションの役の方がやっぱりハマり役だと思う。個人的にジョン・キューザックでもおもしろい役になったかもしれないが、やはりこういうバカっぽい役はジム・キャリーにやらせたら天下一品。相手役の女優も飛び抜けてキレイじゃないところも好感が持てるところである。

さて、『イエスマン』のキーポイントは、主人公はそこまで「NO!」を誇示しているキャラなのか?である。

冒頭から主人公は確かに「NO!」と言っている。いつも行くコーヒーショップでライブの告知をしている若者、仕事に向かう途中の近所のババアの朝食への誘い、職場に送られてくる迷惑メール、銀行員として、ホントにホントに小さい企業への融資、上司のコスプレパーティーへの誘いを次々と断るシーンが出てくる。

だが、これ、よく考えれば分かるように、全て断って当然の事だと思うのだが、私だけだろうか?音を聞いた事もないバンドのライブに二つ返事で行くヤツは居ないし、これから仕事に行かなければならないのにのんきにご近所さんと飯を食ってられないだろうし、迷惑メールを一つ一つ開けて、内容をチェックするわけに行かないし、融資を断るのも、職務として当たり前で、コスプレパーティーも興味が無ければ当然断る(しかも、その上司はかなりウザいヤツである)はずである。まず、この引き込み方からして、強引だなぁと思ってしまう。

唯一、「それにもNO!と言うのか!?」というシーンがあって、それは親友の誘いを断るシーンだ。主人公は親友が誘っても徹底的に理由をつけては断る。親友は2年間付き合った彼女と婚約するが、ジム・キャリーはどのくらい付き合ってたのか?彼女の名前は何なのかも知らない。一生に一度の婚約パーティーにも顔を出さず、ついには親友にも愛想を尽かされてしまう。このシーンは冒頭のそれよりも確かに重要で、「自分の親友の婚約パーティーまで行かないのか!?」と観る者に思わせるが、唯一、必要不可欠なシーンの中に足りないものがある。それは“主人公が人の誘いを断る理由”だ。

確かに主人公は上司の誘いも親友の誘いも断る。だが、何故断るのか、理由がよく分からない。一応、冒頭で半年で離婚した元妻と会うというシーンがあるが、そのショックで人と接するのが嫌になってしまったというのも描かれない。『イエスマン』は主人公が何故人の誘いを断るのか?という理由を探る物語ではない。もし、主人公が人の誘いを断り続けてるのは何故か?というのがメインのプロットならば、その演出で間違いなのだが、『イエスマン』はタイトル通り、「YES」と言い続けなければならないというステップに行かなければならないので、その前の段階でハッキリ「NO」と言い続ける理由を明らかにしないと、一つの謎を残したまま、作品のテーマに行く事になり、消化不良に感じてしまう。

主人公が何の理由で「NO」と言い続けるのかが分からないため、次のステップの「YES」と言わなければならなくなってしまった部分もかなり意味不明で強引だ。主人公は「NO」という人生に嫌気が差してるわけでもなく、多少の金もあれば、全然不幸ではない。というか、不幸に感じてるのならば、その人生は虚しいという演出を絶対にしなければならなかった。全体的にウエルメイドな仕上がりのため、空虚な人生という部分すら温かみがある。だからそのウエルメイドさが、仇になってしまった感は否めない。そもそも自分の人生を不幸に感じてるかどうか分からないキャラ(少なくともそう見えてしまう)が「YES」を言う事で人生が変わるという自己啓発セミナーにだって行かないだろう。しかもそのセミナーに誘うキャラクターも「YES」を言う事で人生が変わってるわけではなく、むしろホームレスに近い格好で出てくる。主人公はそんな彼を見て、「YES」の自己啓発セミナーに参加する事を決めるのだ。せめて、そのセミナーに参加して、出世して、妻をもらい、子供にも恵まれた幸せな人を提示するべきだったのではないだろうか?少なくても私はそのセミナーに参加してホントに人生がガラッと変わった人を見ない限り参加など絶対にしない。

イエスマン』では奇想天外なあり得ない事が連発され、それがカタルシスになってるのだが、軸になるべき、出発点がかなり散漫に描かれており、その散漫さは主人公に惹かれて行く女の描き方にも見られるのだが、それを言うとネタバレになってしまうのが困りものだ。

ハッキリ言えば『イエスマン』はどんな事にも「YES」と言い続ける男というアイデアで止まってしまった作品なのだ。アイデア一発勝負ではなく、アイデアを提示された時点で終わってしまった作品。「NO」と常日頃から言ってるのも言って当然の事ばかりだし、軸になるはずの理由も不明で、さらに「「YES」と言い続けよう!」と心の底から思うまでの描き方も絶対に別なやり方があったはずだ。

ハッキリ物事を言えない日本人のための『イエスマン』だが、これを観て「オレも今日から「YES」と言おう!」と思う人は少ないだろう。もちろん嫌いな映画ではないんだけどね。あういぇ。