『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のジャンルって何?

今日はお休みだったので、DVDで『バック・トゥ・ザ・フューチャー(以下『BTTF』)』三部作を一気に朝から観て、その後メイキングも全部観て、音声解説でもチラっと観た。計8時間。TVドラマを全話見るようなもんだが、『BTTF』は見始めると最後まで見てしまう魅力があるので、ちっとも苦ではない。

さて、今までに何度も観て来た大好きな映画だが、今日音声解説やメイキングを見ていたら、監督と脚本家がシーンの解説をするときに「それはジョークだよ」とやたら言ってることに気がついた。それで全部観てみたら『BTTF』は作られた過程から制作中、さらには続編にいたるまで全てが悪ノリによって作られた作品だったということを知った。

つい最近、“『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の“ジョニー・B・グッド”演奏シーンに関するほぼ完璧な解説。”*1という記事が話題になった。例の『ジョニー・B・グッド』の演奏シーンがロックンロールのリスペクトになっているというもので、それを丁寧に説明している記事であった。子供の頃は分からなかったが、確かにこのシーンを見直すとマーティは『ジョニー・B・グッド』を弾きながら、ジミヘンやピート・タウンゼント、エディ・ヴァン・ヘイレンの得意技をマネしている。しかもよく見るとボトムリフまでしっかり弾いている。このシーンに説得力があるのは、当て振りとは言え、ホントにマーティが『ジョニー・B・グッド』を演奏するときの指使いをしているからだろう。

このシーンに関して、ロックンロールに対するリスペクトなのか?それともロックンロールを黒人から取り上げたのか?という話が出て来たが、そもそもこのシーンが生まれたのは監督と脚本家のアイデアで、脚本を書き上げる時に50年代を舞台にしたことで思いついたジョークであり、もっと言えば度が過ぎた悪ノリである。ところが、その後に歴代のギタリストのパフォーマンスをするというのは実は監督のアイデアではない。これを思いついたのは他でもないマイケル・J・フォックス本人だ。
マイケル・J・フォックスは十代の頃にバンド活動をしていた。彼はギターはうまくはなかったが弾き方だけは知っていた。そこで、『ジョニー・B・グッド』の指の使い方だけを教えてもらい、音に合わせて、指を動かした。演奏シーンを振り付け師と練習するにつれて、アクションはオーバーなものになっていき、そこでマイケル自身が「ぼくの好きなギタリスト達のアクションを入れたらどうだろう?」と提案した。

いわば『ジョニー・B・グッド』の演奏シーンは監督の悪ノリとマイケル・J・フォックスのアイデアがプラスされて出来上がったのである。

当初、監督が使いたかったマイケル・J・フォックスはドラマの撮影でスケジュールが朝から夜まで埋まっていて、映画に参加するのは難しく、代わりにエリック・ストルツを起用し、二週間ほど撮影もしていたが、ロバート・ゼメキス「エリック・ストルツは我々のユーモアを理解出来てない」という理由でクビにした。そして、夜まで埋まってるなら、夜中に撮影すれば問題ないという強行手段でマイケル・J・フォックスをマーティ役にした。

もし、ジョークが理解出来てないと言われたエリック・ストルツを使っていたら、あの演奏シーンはここまでドラマティックになっていなかったかもしれないのだ。

演奏シーンだけでも二つの悪ノリが重なってるが、それだけではない。物語のアイデアは「もし、両親が自分と同じ年齢だったら、両親と友達になれたか?」というたわいもないジョークであって、ロレインがマーティに迫るのもある意味でブラックなジョークだし、タイムマシンにデロリアンを使ったのも、「納屋につっこんだ時にガルウィングのドアが宇宙船に見える」とジョークから生まれたものであり、「俳優のレーガンが大統領だと?なら副大統領はジェリー・ルイスか?」というセリフもジョーク。悪者のビフ・タネンという名前もユニバーサルの元社長から取られたもので(ビフの末路を思えば、このネーミングはかなりブラックでもある)、デロリアンが飛び立つラストも「今までヒット作に恵まれなかったからせめて続編が作りやすいように」という願いを込めたジョークである。

ボブ・ゲイルとゼメキスは一つのジョークを思いついたら、それをメモ用紙に書いて貼り、そのジョークを使うためのいきさつを何度も何度も書き直して、違和感がないように脚本の中に組み込んだ、つまり『BTTF』は伏線からその回収、物語のアイデアからラストまで、全てがジョークで組み立てられているのである。

そしてこのジョークに最大の理解者が現れる、それが制作のスピルバーグだ。撮影に入ってもユニバーサルの社長は、ここを変えろ、あそこを変えろと口出しし、さらには変える場所を指摘したメモまで書いてきた。このメモに本気さを感じたゼメキスはスピルバーグに相談した。そうしたらスピルバーグはこのような手紙を書いて、社長に渡した。

「いやぁ、メモを読んだよ、スタッフ全員で笑わせてもらった、気の効いたジョークをありがとう」

社長の自尊心と本気度を逆手に取った一流のジョークであるが、これはゼメキスとスピルバーグが同じ方向性だったことを示すエピソードでもある。

確かにいろんなシーンに対して「あれはジョークだよ」と言ってるだけあって、『BTTF』にはリスペクトがハッキリ言って一つも感じられない。ダース・ベイダーカルバン・クラインヴァン・ヘイレンマイケル・ジャクソンイーストウッドメイドインジャパンも西部劇もリスペクトというより小バカにしてる印象すら持つ。

ところが『BTTF』のジャンルが一体何なのか?ということを考えれば、この、度が過ぎた悪ノリも少しは理解出来る。一般的に『BTTF』はSFとか、学園ものなんかにカテゴライズされるんだろうが、実はゼメキスは『BTTF』をコメディだと言っている。実際、最初に試写をした時に、観に来た人に対して、「マイケル・J・フォックスクリストファー・ロイドが出るコメディだ」と説明をしたほどだ。さらに脚本を書いた『1941』や監督作である『ユーズド・カー』、『抱きしめたい』など、ゼメキスは最初からコメディにこだわっていた監督でもある。

つまり『BTTF』は最初からコメディとして作られているため、ギャグやジョークからアイデアをひねり出すのは意外とまっとうな手段であり、そのジョークが人によっては嫌われるタイプの映画なのだ。そのためにいろんな論争も巻き起こしてるだろうが(上記のロックンロールとか)、それでもやはり『BTTF』は映画としてはゼメキスの中でも文句無しにおもしろいし、なんやかんや言いながら、これからも見続けるんだろうなぁと思うのであった。

というか、ぼくなりにここらで「なんでこんなにジョークだらけなんだ?」という疑問を解決しておきたいということもあって書いただけです。だからあまり怒らないでください。あういぇ。