越えろ!『パシリム』の壁を!『進撃の巨人 ATTACK ON TITAN』

遅ればせながら『進撃の巨人 ATTACK ON TITAN』をレンタルDVDで鑑賞。いわゆる前編の方。

いきなり言うがおもしろかった。

原作は三巻まで読んで飽きてしまったので、すっとんきょうなこと言うかもしれないが、まず、100年前にかつて巨人に襲われた村が、もう一度来るかもしれない巨人に備えて訓練をし続け、襲われても大丈夫なように壁で囲ってるという設定が、いつかくるいつかくると言われ続けている未曾有の災害(南海トラフ巨大地震的な)に対してのメタファーになってて興味深い。しかもその相手と戦争しかけなければならないというのもいわゆる「集団的自衛権」の問題とかぶり、軍艦島でロケしたり、あえて日本人っぽい名前のキャラクターを出すなど、今現在、日本が置かれてる状況を下敷きにしたのは大正解だし、さすがだなと思った。

そして暴れ回る巨人こそが主人公という潔い脚本が良い。

恐らく、今作に最も影響を与えたのは良い意味でも悪い意味でも『パシフィック・リム(以下、パシリム)』だと思う。

あの映画を思い返してみると「努力、友情、勝利」の「努力」が完全に抜け落ちており(友情もないかな)、世界観の説明は冒頭、数分のダイジェストですませ、登場人物はコマでしかなく、巨大ロボットと巨大な怪獣が戦うだけというモノであった。主人公はロボと怪獣だと言わんばかりである。

何よりも壁で街を囲うも意味がなく、じゃあ巨大な怪獣に立ち向かえるだけのロボットを作って、ステゴロでぶちのめそう!という設定が今作の後半部分とかぶる。もちろんそれは原作にあったことなのだけれど、ドラマ部分を削ぎ落とし、ストーリーを圧縮した結果、それが目立つ形になり、最終的にこの映画から響いてくるのは「『パシリム』を日本でやったろうじゃないか」という満ち満ちた気概である。実際、戦士たちがメシを喰ってる最中にイヤミを言いあって殴り合いのケンカに発展するなど、似たようなことをしているシーンもある。

そもそも監督は平成ガメラシリーズの樋口真嗣であり、脚本はボンクラ映画雑誌「映画秘宝」創刊者、町山智浩である。怪獣映画に造詣が深いこのふたりが関わってる時点で、リヴァイが活躍するだとか、超絶に強いエレンのドラマなんか観たいだろうか?少なくてもぼくは観たくはない。それが観たいならアニメを観るし、もっといえばマンガを読む。ぼくが観たいのは巨人が暴れ回り、人間が虫けらのように死ぬ一大カタストロフィであり、阿鼻叫喚の地獄巡りなのである。それをしっかりやってのけてくれたのは感動を覚えたし、涙も出そうになった。しかも主人公が明らかに童貞であるという感じもオタク臭がして共感を覚える。

じゃあ、これが日本からの『パシリム』の解答になったか?と言われればぼくはNOと答える。

理由は多くの人と同じように、ドラマ部分がいささか退屈だったからである。

かなり削ぎ落しているものの、そもそも立体機動装置を付けてビュンビュン飛んでくれればいいだけのキャラクターであり、画的にそれが観れれば、この人たちのバックグラウンドなどマジでどうでもよく、ただでさえ興味ない人たちの興味ないやりとりが延々続くのは苦痛でしかなかった。例えるなら試合シーンのかっこよさだけで見せ切った『スラムダンク』のキャラクターたちに「家族がどうした」とか「彼はこういう生まれだった」というドラマパートがあったらおもしろかったか?ということである。

もしかしたら時間を計れば上映時間の三分の一くらいなのかもしれないが、そこをおもしろく見せられなかったのは監督の力量のなさだといえるし、失敗だといえる。

とまぁ、巨人が暴れ回るだけの映画なのに大きなマイナス点があるという妙なバランスだが、それでもみんながブーブー言うほどの駄作ではないと思う。テンションが高すぎてすべり散らしてる石原さとみも、戦闘のまっただ中に上から目線でビルの屋上に立ってワーワー言ってるだけの長谷川博己も、背負い投げで巨人を倒してしまう松尾諭も問題なかったし、蜷川幸雄シェイクスピア劇か!というオーバーアクトもあの画には合ってるような気もした。たかみなにも驚かされたし*1

ただ、主人公のエレンが未亡人に誘われておっぱい触るんだけど、おっぱい触ってることに集中しすぎて、目の前に近づいてる巨人に気づかないという演出はどうかと思った。いや、童貞だし、エロサイトはおろか、エロ本もない世界でおっぱいでしょ。わからんでもないが、逆にどれだけ見事なおっぱいだったんだと気になってしまったじゃないか。


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進撃の童貞:実写版『進撃の巨人』 - 冒険野郎マクガイヤー@はてな

*1:KREVAには気がつかなかった