もう冷房を入れなくても気持ちよく過ごせるくらいの夜。ふちの厚い、大きめのロックグラスの中に氷を入れ、芋焼酎を注ぎ、少量の水を入れる。アルコールと水がグラスの中で蜃気楼のようにゆらめいている。
そのゆらめきの向こうに、コレクションと呼ぶには貧相な数十枚のLPが陳列されている。ゆっくり立ち上がると、その中の一枚に人差し指をかけた。大きめのアメコミや特殊なサイズの絵本でぎゅう詰めになってるせいか、なかなかこちらに出て来てくれない。ある映画でレコードを大量にかさねておくと、重みでダメになると聞いた事があったが、そこまでの執着はなかった。
ほどよく酩酊したカラダの神経を人差し指にこめて、一枚のLPを引き抜いた。星条旗をバックにそれと向かい合う形で立ってる男の後ろのポケットに突っ込まれた赤いベースボールキャップ————ブルース・スプリングスティーンの『ボーン・イン・ザ・USA』である。
プレイヤーに乗せて、針をそっと落とす。時代を感じさせるチープなシンセはあいかわらず耳に馴染まないが、強靭なドラミングに負けない男のしゃがれ声が部屋中に響き渡った。横になりながら天井を見つめて、スプリングスティーンの怒りと嘆きに身を任せる。
A面が終わりに近づき、ロックグラスの水滴がコースターを濡らし始めた頃、『バットマン:ダークナイト・リターンズ』の新訳版を読み出した。原書を読んでから思ったのは、暴力的で政治色の強い内容とは裏腹に詩的な美しい表現が至る所に散りばめられてるという事だ。スティーブン・キングが「これは、かつて出版されたコミックの中でたぶん最も良質な、傑作だろう」と言ったのも頷ける。
引退して10年。力を持て余すバットマンは何一つ変わってない世の中に対する怒りで再び立ち上がる。ところが、それはかつての悪党の復活の引き金になってしまった。批判するだけで行動を起こさない世間やチンピラに武器を横流しする軍隊、さらに政府の犬となったスーパーマンらを敵に回し、孤独に戦うバットマン————何度読んでも黒い馬にまたがって、街にやってくる場面は燃える。
奇しくもそれはスプリングスティーンの『ボーン・イン・ザ・USA』に通ずるところがあった。スプリングスティーンはたった独りでアメリカという国を嘆いていた。こんな事になるはずじゃなかったという怒りを込めて声をふりしぼって歌った。アメリカではメッセージをはき違えた政治家と一般大衆のお陰で売れに売れた。
この2作は共に80年代を代表する作品だ。強いアメリカを誇示し始めたころに、政治と国のあり方にNOとハッキリ言えたのは、もしかしたらこれが最後なのかもしれない。
今や時代は『ブレードランナー』のように混沌としている。ぼくは社会や国に対して文句を言うつもりは毛頭ないが、歯の浮くようなセリフを言うドラマやラブソングが多い中で、そろそろ表現者達は何かがつんとしたものをぶつけてもいいのではないだろうか?しかも上記の作品はぼくが生まれて間もない頃のものだと思うと、鳥肌どころか寒気すら感じる。ぼくは映画にしろ、小説にしろ、80年代の作品はダサいと感じていたが、それに対しては全力で土下座したい。
確かに何か過激な事をやればすぐに批判される現代だが、ミスチルでさえも社会的な事を歌わなくなった今だからこそ、ぼくは怒りと嘆きに満ちた作品が観たいし、聞きたい。そんな事をほどよく酔った頭で考えてた夜だった。あういぇ。
ペンで予言する 物書きや批評家よ
目を大きく開けてなよ チャンスは一度きり
でもそう焦ることもない まだ道の途中
誰も言えやしない どうなるかなんて
今の敗者も あとでは勝者
なぜなら、時代は変わるものなのだから
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