「主人公が天才ってのは、書いてる人が天才だから、そうなるわけで、オレには才能が無いし、そういう人の方が圧倒的に多いんだから、オレはボンクラに向けてボンクラが主人公のマンガを書いてるんだよ。」
昨日は『グッド・バッド・ウィアード』を観て来た古泉さんと合流して、サイゼでお茶をしたんだけど、その時もそんな話になった。実はボンクラが主人公のマンガというのはあんがい少ないのかもしれない。
例えば『デスノート』。主人公は容姿端麗、スポーツ万能、ずば抜けた頭の良さを持っている。同じコンビで書いてる『バクマン』も同じように主人公が才能に溢れてるという話なのだそうだ。
冷静に考えると『BECK』も『サイコ』も『俺と悪魔のブルース』も『ヒカルの碁』も『DMC』も『ドラゴンボール』も『MONSTER』も『シティーハンター』も『キャッツアイ』も『ジョジョの奇妙な冒険』も『ピンポン』も『童夢』も『ゴルゴ13』も『ブラックジャック』もみんな才能に溢れてたり、天才が絡んでたりする。
もちろん、ぼくは上記の作品がみんな好きだが、それは書き手がその中にも狂ったフレーバーを入れたり、薄汚い何かをぶちこんでいるからであって、映画だったら反感を買うかもしれない。純粋なボンクラが主人公というのはメジャーどころでは思ったほど多くないのである。
『スラムダンク』がおもしろかったのは、桜木花道がスーパープレイヤーじゃないところだろう。ジャンプ力があるだけで、バスケはシロート。その辺にぼくはグッと来たのかもしれない。
じゃあ、スーパーヒーローが主人公のアメコミはどうか?いや、いや、アメコミの主人公達は大概がキチガイで、スーパーパワーを持っていたとしても、精神異常者というのはかなり多い。『ウォッチメン』、『Vフォーヴェンデッタ』、『ダークナイト・リターンズ』、『シンシティ』、『300』――――
映画だとボンクラが主人公というのは、かなりある。イノセントやスーパーヒーローを主題にしたものとタメはれるくらいあると思う。もうここであげたらキリがないと思うのだが、コメディとか、ホラー映画、カンフー映画の主人公は大概ボンクラだし、『バッファロー'66』だって『ゴースト・ワールド』だって『アメリ』だってそう。エドガーライトの作品やタランティーノ、ジョンカーペンター、スピルバーグ、ゴダールの作品でさえボンクラ寄りだったりする。
んで、話してて、ふと思い出したのだが、そんなボンクラ映画が多い中でも、才能あふれる主人公を作り続けてる映画会社がある――――それはピクサーだ。
何故かピクサーというのは才能あふれるキャラクターを主人公にするのが好きなようだ。
営業成績トップの『モンスターズ・インク』、ハンディキャップがあるにもかかわらず関係ない活躍を見せる『ファインディング・ニモ』、そのまんまの『Mr.インクレディブル』、生意気だがレースの腕は抜群の『カーズ』、料理の才能がある『レミーのおいしいレストラン』、リセットしたとたんにただのロボットに戻った『ウォーリー』なんかは特にそれが顕著に現れてる気がする。
『ワンピース』や『NARUTO』、『ブリーチ』は読んだ事が無いので何とも言えないが、ここまで才能ある主人公に人々が引かれる理由はなんなのだろうか?もしぼくの周りに天才と呼ばれるヤツが居たら、ぼくはどー思うだろう?
とにかく、それよりもぼくはボンクラが主人公の作品が観たい。『アフロ田中』とか『THE3名様』とか『チェリーボーイズ』のようなボンクラ集団の話がとにかくみたいのだ。漫画家を目指してる人はその辺のスキマを狙ってマンガを書くのもいいかもしれない。あういぇ。