最後の晩餐の作り方

書評を頼まれたものの、その文章の組み立てが強烈で、読むスピードを遅くさせてきた『最後の晩餐の作り方』に再び挑む、これはマジに挑戦だ、自分に仮した締め切りがね、過ぎちゃったわけですよ、宮藤官九郎は言ってました、『遅れておもしろいのと、早く出来ておもしろいのだったら、早く出来た方がいいじゃないですか』と、みなさん続々と書評があがってきとるわけですが、それを読んでるとね、やっぱりすごいわけですよ、特に私なんて、映画のレビューはもう600本以上も買い取りますが、本の事はぜんぜん書いてないですし、そもそも書いた事もないので(それ故、私のブックログは文章が短い)書き方すらわからない、それにも時間がかかるくらいだったら、最初から本くらいは早く読んでおこうと思ったわけでね、なのにも関わらず、その本が読みにくい(笑)100ページで止まっていて、朝の7時から10時まで頑張って読んだ、というか、頑張って読んだの時点で、楽しめてないのでは?(笑)

私は本を読むスピードはかなり早いと自負している、ゲーム世代ですから、スクロールしていく文字を追って行く感覚でバシバシ読んで行く、だが時折読むスピードが遅くなってしまう本がある、読んでて映像が頭に浮かばないというか、脳内変換が出来ない類いのものは“苦手”な本として、印象が強く残ってしまい、なんだかなぁ〜と唸りをあげる。頭の中に浮かびにくい世界を文章で表すのはすごいでしょ、だから村上春樹って圧倒的な筆力を持ってるのよね、だってさ頭蓋骨かぶって、夢を読むとか、あり得ないでしょ?それを嘘に思わせないのがすごいわけ、『最後の晩餐の作り方』も、苦手な部類の本であった、だが、この場合の浮かびにくいというのは、状況の事であり、料理の事やら、蘊蓄のスタイルは分かりやすいとも言える。

『最後の晩餐の作り方』はある種、自伝的な要素が強い小説である。もちろんこの小説は料理の作り方に殺人をまぶしたミステリーの体制をとっており、まったく作者の自伝的要素はない(いや、エピソードの1つくらいはあるかも)じゃあ、なんで自伝的なのかと言うと、この本には作者が体験してきたであろう知識と蘊蓄がつまっているからだ。恐らく人はだれしも衒学的な要素を持っていて、自分が得た知識をひけらかしたいと思う節があるだろう、私自身も映画のレビューや音楽の事を書く時はハッキリ言って衒学的になってるかもしれない、それは人によってはイヤミに映ったり、人によっては感心させられる技術なのかもしれないが、その反面、素直に書くという事を羨ましく思う事もある。この作者はその素直に書くという事が出来ない人種(つまり私のような)で、
そういった事を盛り込みたくなる衝動に駆られたに違いない。

エヴァンゲリオンを作り上げた庵野秀明エヴァについてこう語っている。『あれは哲学的とかよく言われるんですけど、衒学的という言葉が似合うんですよ、もっと言うと知ったかぶりかな、 こういう言葉を使えば、頭良さそうに見えるっていう(笑)』

『最後の晩餐の作り方』はその言葉には当てはまらない、何故ならば、そこに嘘はなく、ホントに知識をひけらかしてるからだ、正直この手の本は初めてだったし、最初はとまどったが、キャビアのくだりから、一気に引き込まれ、感心している自分がいた、う〜ん作者の術中にハマってしまったな…

とにかく一言多い小説、だからと言ってそれが邪魔なんじゃなくて、独特のリズムを生んでいる。特にそれを象徴しているのが、この文、プリンの作り方を書いた後の文章だが、

『プリンでひとつ残念なのは、書いたり説明するのに主有格の「〜の」の重複がどうしても避けられない事で、作家フロベールはこれによく腹を立てたものだった』

こんな感じでどんどん作者の博識が詰め込まれていって、どんどんそれに引き込まれている自分がいる。

じゃあ小説としては変化球なのかと言われるとそうではない。たしかに話はつねに脱線し、一体何の話だったのかすら、忘れさせるほどの量が詰め込まれている。筋だけを書けばあっさり終わるだろう、だが、それ以外で楽しませる小説というのもなかなかない。映画で言えば、タランティーノの作品にもテイストは似ている感じはある、本筋以外がおもしろいと言うか…料理が好きな人にはたまらない小説だろうが、それ以外の人は大変な思いをするだろう(笑)一応、それとは関係ない博識も山ほど出てくるわけだが、まぁ70%は料理の事である。

そして若干の死体を漂わせ、決定的な殺人が起こるのだが、その殺し方がまたなんともユニーク、
その事についても蘊蓄が飛び出すものだから、おもしろい。

この小説は96年に発行されたもので、作者ランチェスターのデビュー作、世界各国で翻訳され、各賞を総なめにしたらしい、それが2001年にやっと日本で発売、そして文庫化である。これを読んだらなんでそんなに遅れたのか分かった、だって、これ分かりやすく翻訳出来る人、そんなに居ないもん(笑)一番大変だったのは書いた本人でもなく、これを読んだ読者でもなく、翻訳をした小梨直、この人に拍手を。

と、やっと書き終わりました、お待たせしてもうしわけございませんでした。お待たせしたぶん、いろんなところに掲載したいと思ってます。