『蒸発父さん 詐欺師のオヤジを探してます』を読んだ。

蒸発父さん-詐欺師のオヤジをさがしています

蒸発父さん-詐欺師のオヤジをさがしています

16時過ぎに『蒸発父さん-詐欺師のオヤジをさがしています』 を読み終わった。ぶっちゃけ読もうと思えば、かなり早く読める本だったが、映画など見たいのも重なったので、今頃の読了である。『蒸発父さん』を読んで思い出したのは、村上龍の『69』だったが、村上龍のこの自伝的小説は好きなのだけれど、ちょっと上から目線なのが引っかかって、それを映画では妻夫木聡がよく中和してたように思える。『蒸発父さん』はそういう嫌らしさがまったくなく、汗の匂いや夏の暑さ、男臭さがいい意味で充満している。

青年キシカワは会う人会う人に「何故に自分の親父を探しているのか?」と聞かれ、たいがいの人に反対されてしまう。だが、青年キシカワはこの問いにまっこうから答えられない。いろんな理由がぽつりぽつり出てくるのだけれど、どれが本当なのか自分でも分かっていない。目に見えない小悪党である親父の消息はまるで掴めず、彼を知ってるという人に数人会い、親父の存在が目の前に来たと思ったら、また離れて行く。『蒸発父さん』の主人公キシカワの状況は特異だが、それでも、この本で書かれてる親父の存在は私が想ってる親父に対する概念と似ている。そもそも自分にとって親父とは何なのか?親である事には変わりないのだが、ライバルだったり、越えたくても越えられない存在だったり、親友だったり、うっとうしいものだったり、飲み仲間だったり、人によっては様々だろうが、背中が見えたと思えば離れて行き、掴めたようで掴めないような、不思議なものだ。私も親父の事はよくわからない。人づてに親父の事を聞いたところでそれが本当かどうかも分からんし、「親父とはどんな存在か?」と聞かれてもまっこうから答えられないだろう。『蒸発父さん』のキシカワは卒業制作の映画のために動くが、もしそれが無ければ、キシカワは自分の親父について調べる事も考える事もなかった。やっぱり同じ親のくくりであっても、母と父は全然違うもんなんだなぁと改めてこの本で思い知らされる。

『蒸発父さん』の最大の魅力は、過度に「会いたい」という表現も出なければ、自分が親父を捜す理由をあまり分かってないという主人公のスタイルが、読み手がなんとなく親父に抱いている概念とシンクロするからだと思う。

出てくる細かいアイテムはまるで自分がその場に居るかのようなリアリティがあるし、プロットとは関係ない部分が独特のリズムを持ってて、くだけた文体になったと思えば、締めるところはピシッと締めてて、急に真面目な例えが出て来たりと、非常にユニークだ。警察のくだりでは同じように泣きそうになったし、チンピラにかこまれるところではハラハラした。これが実話に基づいてるってんだから、さらに驚く。

『蒸発父さん』は絶対に映画化出来るような小説。それくらい情景が浮かびやすく、シンプルな文体でおもしろい。非常におすすめの一作です。いや、これマジで。っていうか、こういう小説読んだ事なかったよ。

あと、作者の岸川真さんがはてなダイアリーを始めました。

岸川真「蒸発父さん」の息子です

是非是非アクセスよろしくぅ。