地獄に落ちるわよ


新約聖書を読んでいたら、おもしろいフレーズがあったので、今日はそれについてのお話。

ぼくは細木なんちゃらとかいう人が大嫌いである。1番の理由は、根拠の無い六星占術に基づき、人に対して「地獄に落ちるわよ!」と平気で宣い、しかもそれが世間で良しとされてる感じがあるからだ。

「死ね」というのがTVではあまりふさわしくないと言われてるのに「地獄へ堕ちるわよ」は何でアリになるんだよ!というのは前から感じてた事だ。とにかく数字を取るためなら、なんでもアリな空気感のTV局のスタンスも嫌なのだが、個人的に子供に見せたくない番組に何故細木の番組が上がってこなかったのか不思議でならなかった。もちろん感動的な事や、思想的にいい事を言ってる時もあるが、それは他のバラエティーお笑い番組でも同じ事で、確かにお笑い番組では「死ねばいいのに」というフレーズはたくさん出てくるものの、「リンカーン」ではゲイやギャルと1つの目標に向かって笑わせ、泣かせる企画もあったりするわけで、お笑い番組を愛する私として、細木は良くて、お笑いはダメというのは差別や偏見だと正直に思った。

「地獄へ堕ちるわよ」は本当に個人的だが、「死ね」と同じ、いや、それ以上の破壊力があると思う。なのにもかかわらずだ。細木が使うのはOKになっているのである。ザ・パンチは自粛してるというのに。

なので、果たしてホントに『地獄へ堕ちるわよ』は『死ね』よりも公共向きなのか、調べてみる事にした。

前にアメリカに住んでた事がある友人と『FUCK』という映画を観た時にこんな事を聞いた。ちなみに映画は「FUCK」という言葉について歴史から使い方まで探っていくドキュメンタリーである。

オレ「やっぱりさ、アメリカ人ってFUCKって言ってはいけない言葉みたいな感じに捉えてるの?」

友人「うん、別な言葉に置き換えたりしてるよ、あと何故かHELLって言っちゃいけないみたい」

何故なのか分からないが、アメリカでは「HELL」つまり地獄を意味する単語を口に出してはいけないようである。ちなみに「Inferno」もよく地獄と翻訳されているようだが、辞書で「Inferno」を引くとパラダイスの反語としての地獄。さらに烈火とか猛火という意味もあるようだ。だから『タワーリング・インフェルノ』というタイトルは「そびえ立つような地獄」という意味と文字通り「高層ビルが猛火に包まれている」という意味の2つになるという事だ。さすがに会話に「Inferno」と頻繁には使わないだろうが、「FUCK」や「Jesus」のようにスラングで「HELL」というのは使われるのだろう。

さて、地獄という単語を口に出してはいけないというのがもしアメリカに根付いてるのならば、裏を返せば、よほどの事がない限り地獄というのは言わないという事になる。基本的に神の名前も口に出してはいけないのだから、その流れなのかもしれないが、アメリカ人の中ではそれこそ「mother fucker」的な扱いなのかもしれない。

アメリカで、それこそ細木のように「地獄へ堕ちるぞ!」というのが印象に残る映画がある。それは出エジプト記を映像化した『十戒』だ。モーゼが十戒を授かる時に、偶像を作ってはならないと言われたのに、モーゼの帰りを待ちくたびれた民衆が反乱を起こして、金の牛の像を作り、それを崇め、山のふもとで酒池肉林の大騒ぎを繰り広げた。それを見たモーゼが、持ち帰って来た十戒の石盤を地面に叩き付け「お前らは地獄に堕ちろ!」と言うのである。

十戒』でモーゼがブチ切れるのはこの場面だけなので、「地獄へ堕ちろ」は印象に残ったのかもしれないが、実は旧約聖書の中だと、モーゼが山から降りた時、ぶちキレて石盤を投げつけた後に「地獄に堕ちろ!」とは言わない。ブチ切れてはいるが、「殺せと命じている」と神の言葉をそのまま伝えたにすぎないのだ。

新約聖書ではどうか。愛の宗教と言われているキリスト教だが、仏教と同じように慈悲の宗教という側面も持ち合わせていると思う。だから教会に行って懺悔してるシーンが映画の中でもたくさん出てくるわけだ。キリストは病人だろうが、罪人だろうが、ユダヤ人だろうが、誰彼構わず奇跡を起こし救った。基本的に弟子が出来損ないで、弟子はやんちゃしているのだが、それに対しても、優しく諭すように許したり、それは間違いだよという事を指摘する。

そんな心優しきキリストが聖書の中でブチキレるシーンがある。奇跡を起こした街に対して言った言葉だ。

「お前は、天にまで上げられるとでも思っているのか。陰府にまで落とされるのだ。」マタイ11章-20節

陰府(よみ)は地獄ではないが、「天にまで上げられるとでも思ってるのか」という事から地獄へ堕ちろのような感じにも聞こえる。もしかしたらアメリカで『HELL』が言ってはいけない言葉なのは『十戒』の映画と唯一キレたキリストのセリフだからなのかもしれない。まぁ、ウィキペディアにしてみたら、この後に“要出典”って付くんだろうが(笑)

じゃあ日本ではどうだろう。ウィキペディアによると、細木のデブは仏教思想の持ち主らしい、だからそこから「地獄に堕ちるわよ」というフレーズが出てくるのだろう。聖書の中で地獄は永遠の刑罰が待ってる、激しい苦痛の場所であるが、実はそれよりも仏教では具体的な地獄描写、まさに地獄絵図がある。仏教によれば、地獄は地下8階の建物であり、すべてが凄まじい拷問の部屋である。1つのエリアは地球の12個分の広さ。さらに刑期は最低でも500年と長いが、地獄では1日の時間が、現世の50年に当たるので、それはそれはホントに地獄を味わう事になるわけだ(たしか、そんな話が『世にも奇妙な物語』であったなぁ)、生き地獄という言葉があるように死んだ方がマシだという事を感じさせない世界がある気がする。

ところが、ところがである。仏教を開いたブッダは死後の世界について無関心だった。五戒を破ると、地獄に行くというのはブッダの死後に出来たものであり、実はブッダは999人を殺した殺人鬼ですらも弟子にしている。仏教は慈悲の宗教なので、五戒を破っても、懺悔すれば許されるシステムである。ブッダの教えはたくさんあるものの、基本的には「現世で功徳を積みなさい(生きてる間にいい事しなさい)」であり、自分が死んだ後の世界の事よりも、生まれ変わって来世でもいい事があるようにしろという事に趣を置いていたようにも思えるのだ。だからブッダは間違いなく「地獄へ堕ちろ」とは言わなかったはずである。

まぁ、それはさておき、聖書の世界でも仏教の中でも特別な意味を持つ地獄(大元ではそこまで重要視されてなかったりもするが)。調べれば調べるほど「死ね」や「殺す」と同じくらい「地獄に堕ちるわよ」は酷い気がする。もちろん無宗教だったり、無神論者に対して「地獄へ落ちるわよ」は大した言葉じゃないのかもしれない、だから「「死ね」の方が酷いし、そんな言葉を平然と言うなんて考えられない」という人の方が圧倒的に多いんだろう。ただ、「死ね」に対して批判的になるのは分かるが、日本では圧倒的に仏教が多いんだから、こちらも同じように批判すべきだった。いや、もうとっくにぼくの知らないところでしてたのかもしれない。

という事で、「死ね」という言葉に文句を言う前に「地獄へ堕ちるわよ」という言葉にも文句を言った方がいいと思うというのがぼくの勝手な結論だ。それよか、前に細木の住んでる家の紹介をしていたTVを見たけれども、まぁ、家の中にある豪華な品物の数はハンパじゃなかった。

細木さん、キリストは「金持ちが神の国に入るよりもラクダが針の穴を通る方がまだ易しい」って言ってますよ。あういぇ。