『すべてがFになる』のドラマがおもしろくない件(いまのところ)


熱狂的なファンが多い『すべてがFになる』のドラマ版。原作を読んでない状態でフラットに観てるんだけど、まぁこれがまったくおもしろくない。

トリックがムチャクチャなのは『ガリレオ』で慣れているから百歩譲ってまぁ良いとしても(それでもよくないけど)、引っかかるのは二点。

まず一点は殺人が起きてる状況が不自然すぎて入っていけないこと。この手の連続殺人事件モノでは仕方のないことなのだが、例えば『金田一少年の事件簿』でも学校内で何人も殺されるとか、犯人はその方法取らなくてもよかったんじゃない?と、どうしても思ってしまう。それ言うなよといわれたらそれまでだし、それ自体を批判するわけではないが(『金田一少年』は大好きである)、逮捕されたくなければ、死体を発見させずに行方不明扱いにすれば良い話で、ホラー映画の決まり事のように(殺人者は歩いて襲うとか、電話が通じないとか)、よく考えるとおかしいな変だなということだ。

いままでであればそれはそこまで気にならなかったのだが「すべF」に関してはそれが輪をかけてヒドい。氷点下30℃にもなる実験室で実験中に殺されるだとか、密室になった蔵のなかで凶器が見つからないのに刺されて死んでるとか、こないだのヤツにいたっては15年も監禁された部屋のなかで殺されたとか、とにかくぶっとびすぎてて、そこから「?」が点灯してしまう。その状況じゃないとダメか?みたいな。とにかくすべての話がトリックありきで作られてるような気がしてならないのだ。

もう一点は殺人の動機。ハッキリいうと理解できない。これは原作のファンである知り合いに教えてもらったのだが、原作者は「人間とは我々の想像を超えた行動を起こすことがある」というのに興味があるらしく、故にこちらが理解できない動機ばかりが出てくるらしいのだ。しかし、古畑でさえ「この事件は動機がカギだー」とか言ってるのにも関わらず、その動機が「こちら側の想像を超えた」と言われてもピンとこない。つっても、それ以前におかしなこともあって、第一話では身分を偽って連続殺人したわりに、綾野剛にメールで呼び出されたら目の前にあらわれたり、その時点で動機とか以前によくわからない。それを「人間とは我々の想像を超えた行動を……」で片付けられても……

————裏を返せばこれらふたつの点は「すべF」の魅力なんだといえる。その「普通ではない」部分が読者を捉えて放さないのだろうが、ぼくはこの二点に納得することができず、それがノイズとなって入っていけない。この辺は原作ではすべてクリアになっているんだろうが。これはあくまで個人的嗜好の話であり、同じように「そこが納得できない」という人と「それこそがこの物語のすべてだ」という人に分かれるのだろう。

先日『リーガルハイ』のスペシャルがあったのだが、これが非常におもしろかった。人間は英知であるかもしれないが神じゃない、底辺でジタバタする醜くてどうしようもなく愚かなゴミクズなのだ。それを受け入れろ……「リーガルハイ」で繰り返し描かれるメッセージであるが、ぼくはこれに深く共感する(正しいか、正しくないかは別にして)。

それで確信もしたのだが、どうもぼくは根本的に「自分は頭が良くて人間を知っている」と上から目線で物語を紡がれると、反発を覚えてしまう人間のようだ。「人間とは我々の想像を超えた行動を起こすことがある」と原作者が言ってるように、あなたたちの想像を超えた感想が出てきてしまうときだってあるのである。



あ、そうそう。今日放送されるヤツはシリーズ屈指の出来らしいので、一応これを観てから今後見続けるかどうか決めることにする。