ザ・ワールド・イズ・マイン
真説 ザ・ワールド・イズ・マイン (1)巻 (ビームコミックス)
- 作者: 新井英樹
- 出版社/メーカー: エンターブレイン
- 発売日: 2006/08/31
- メディア: コミック
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残酷さに震えてしまう。90年代に生まれた、素晴らしい文学の一つだと思います。
ーーー伊坂幸太郎(小説家)
ワールド・イズ・マインを知らない子供達へ。世界の残酷さの裏側を覗いてみろ。「世界」という文字が透けて見えるような素敵な場所がある。
ーーー[くるり] 岸田繁(ミュージシャン)
これは、壮絶なまでに徹底した描写の追求によって「世界」の連続性を描き出す極めて倫理的な作品である。
ーーー阿部和重(小説家)
この「凶悪な神話」を読むと現実のちっちゃな暴力衝動も消えてしまうだろう。
ーーー呉智英(評論家)
「ザ・ワールド・イズ・マイン」という漫画があってね。それを映画にしたいんだなあ。ちょっと金がかかりすぎるけど。
ーーー深作欣二(映画監督)
アニメ以上に動いている画。匂いが立ってくる交尾(SEX)。テレビでは放送できない力(暴力)。「野生の王国」人間バージョンです!
ーーー山本英夫(漫画家)
「火の鳥」「デビルマン」「時計仕掛けのオレンジ」そして「ザワールドイズマイン」。人類を殺したいほど愛した者だけが達しうる善悪の彼岸!
ーーー町山智浩(コラムニスト)
各界の著名人達が大絶賛するマンガ『ザ・ワールド・イズ・マイン』を読み始めたが、マンガってこんなにおもしろいもんなんだと初めて感じた『童夢』や『鉄コン筋クリート』を読んだ時の衝撃が再び蘇った。
人間の命は平等に価値がないと広言するナチュラル・ボーン・キラーのモンと、爆弾を作る事が趣味であるトシ、この二人が殺人と強姦を繰り返しながら、日本全国にバクダンを仕掛けてまわる、それと同時にヒグマドンと名付けられた怪獣が東北に出現、ヒグマドンは破壊を繰り広げながら、日本を南下していく……
「人間の命は平等に価値がない」
「俺は俺を肯定する」
「僕、弱い人間やから、強い力を持ったらあかんのや」
「なぜ?」
「使いたくなるやろ」
と言った心臓の奥まで突き刺さって来る名台詞と目を背けたくなる残酷描写の連発、徹底的な破壊と狂気、女も子供も容赦なくぶち殺されて行く内容で明らかに人を選んでしまうマンガだが、ぼくのような人間には、このマンガに書かれてる事はすべて美しいと思う。生も死も人が人を殺す事も、破壊もその先のものを見せてくれるから美しい。
くるりの『WORLD'S END SUPERNOVA』という曲のフレーズに「絶望の果てに希望を見つけたろう」というのがある。実際この曲が収録されたアルバムのタイトルも『THE WORLD IS MINE』なので、影響があるかもしれないが、ぼくはこのフレーズに深く共感するし、このフレーズが『ザ・ワールド・イズ・マイン』を象徴してるような言葉だと思う。
ぼくは希望という言葉の定義がよく分からない。この世に生があって、それが巡り巡る限りは、希望なんてのは日常の中に溶け込んでる物だと思う。何の苦も無く、日常を過ごしていれば、ハッキリ言って希望なんて感じる事はないだろう。
ところがこの世は絶望で溢れている。ニュースは連日のように殺人や不況、政治家の失態、タレントのスキャンダルを映し続け、それを人ごとのように客観視しながら、ぼくらは日々を生きている。だが、自分にとっての絶望を感じたとき、失恋した時でも、親友に裏切られたりでも、仕事での失敗でも、大事な人を亡くした時でも、なんでもいいのだが、この時に初めて希望を感じられるような気がするのだ。
『ザ・ワールド・イズ・マイン』で描かれる絶望的な状況、そこにはやっぱり希望が感じられる。人間が人間らしく生きる事の意味や、神をも恐れぬ自由意志、絶望の果てにやってくる希望、人が死ぬという事はどういう事なのか?人が生き続けるとは一体何なのか?という学校では教えてくれないような倫理観を一級のエンターテインメントに乗せて描いて行く。
しかもぼくが常に日記で書いている「人は虫けらのように死ぬ」とか「この世は地獄よりも地獄である」とか「死は決して尊くない」というような事がどんどん出て来て、それをやたらと客観視してるような冷たさもいい。
『ザ・ワールド・イズ・マイン』は「神」が存在しない聖書だ。もちろん「神」ようなものは出て来るけども、この中で描かれている事は聖書で描かれている事を凝縮させたものなのだ。ぼくは死ぬまで何冊マンガを読めるか分からないが、これからはこのマンガが全ての基準となっていくだろう。あういぇ。