郷ひろみが近くに住んでるという夢を見た

ぼくは眠りが異常に深いため、夢もほとんど見ないが、今日久しぶりに夢を見て、しかも細部まで覚えていたので、夢の事をネタにしてみた。





「なんかな、お前んとこの家の近くに郷ひろみが住んでるらしいでぇ」

仕事中、やすしが唐突にぼくに言って来た。年下でありながら、職場の先輩だ。彼は大学に通うため、兵庫から新潟に出て来た。関西人特有の軽さと九州男児のような男気を併せ持っているが、その軽さが全面に出過ぎてるきらいがあり、やすしが口にする事は、信用に足らない事もあった。

「何言ってんだよ、このボンクラが、そもそもなんで新潟に郷ひろみの家があんだよ。ましてや、そんなところに」
「オレも、よーわからんのやけど、なんかまことしやかに囁かれる都市伝説らしいわ」

郷ひろみである。言わずと知れたスーパースターだ。アメリカにもホテルのような豪邸を持ち、未だに最前線で活躍し続けている。「スター」と蔑称気味に付けられた錦野旦とは違い、謙虚でありながら、サービス精神も旺盛で、人を楽しませる事が仕事だと思っているような男、それがぼくが思っていた郷ひろみの印象だ。

「都市伝説はいいけど、だから、なんで、オレの家の近くに郷ひろみが住んでなきゃいけないんだよ。」

ぼくは半ば呆れ返るように、笑いながらさらに聞き返す。

「そんなんオレかて知らんわ、あくまで噂やから仕方ないやんけ!ボケー!」

そもそも何処から出た話なのかもよく分からない。一体なぜ、やすしがそんな事を言い出したのかさえぼくには皆目見当も付かなかった。ただ郷ひろみがぼくの家の近くに住んでいるという『マルコヴィッチの穴』にも通ずる、不条理かつ、この奇妙な噂にぼくは強烈に惹かれたのであった。

仕事が終わったのが、夜22時。昼の日差しをたっぷりと吸い込んだアスファルトが雨に濡れて、そこから重たい空気を微量に放つ。その空気を吹き飛ばすようにiPodELLEGARDENの『New Year's Day』を聴きながら自転車を漕ぎだした。じっとりとした夜の空気がTシャツを着ているぼくの腕にまとわりついてくる。

家が近づいてきた頃、ぼくはなんとなく、郷ひろみの家を探し始めてしまっていた。郷ひろみの家である。表札に郷ひろみと書いてあるわけでもないだろうし、ぼくの家の周りに豪邸と呼べるものは一つもない。ホントにこんなところに郷ひろみの家などあるのだろうか、いくら家の近くとは言ったって、住宅街であれば、そこに住んでる人の数はやはり多い。ましてや、本人がそこに居るという確証は無いのに、郷ひろみの家など見つけられるものなのだろうか。そもそも、ぼくの家の近くに郷ひろみが住んでいるのであれば、とっとと噂になってるはずで、それを何故、あのボンクラ関西人に教えられなければいけないのだろう。

22時14分をまわったあたり、一つの路地に入ると、路地の終わりが畑になっていて、その畑に面したところに縁側の付いた家があった。『となりのトトロ』に出てきてもおかしくないような古民家だ。今までそういう家があった事にも気づかなかった。電気が付いていて、妙に煌々としていた。ぼくはその光に吸い寄せられるようにゆっくりと近づいて行く。

ipodを停止させ、雨をしみ込ませた畑を自転車を押しながら歩いて行く。車輪に砂がたっぷりと付いて、シャリシャリとした音を立て始めた。古民家の縁側に近づいていったその時、光の中から、一人の男が現れた、郷ひろみその人であった。

予期しないところにお互いが現れたので、一瞬ギョッとした顔を互いがしてたに違いない。ぼくは開口一番、

「ご、郷ひろみさんですよね?」

と聞いてしまっていた。勝手に家に近づいてって、唐突に訪ねるなんてどうかしてる。頭が真っ白になったと思ったら、郷ひろみは例のスマイルを浮かべ、

「そうだよ、良くここが分かったね。たまたま居て、明日帰るところだったんだ。」
「あ、いきなりすいません、なんとなく素敵な古民家だったんで、覗いてしまって」

もちろん嘘である、はなからぼくは郷ひろみを探していた。まさか、ホントに居るとは思わなかったのだけれど。

「もしだったら、見て行くかい?」
「え?い、いやいや、全然大丈夫っす。」
「別に気にする事ないよ、ここで誰かに会うのは初めての事だし、なんかおもしろいじゃない」

スーパースターである郷ひろみのプライベートにお邪魔するのは気が引けたのだが、それでも、お言葉に甘えてみる事にした。年月が経ったであろう、廊下は明らかに人工的に出せないような独特な色をしていて、どす黒い血を塗りたくったようだった。

縁側に腰を下ろすと、郷ひろみはぼくにビールを渡してきた。いやいや、と断ろうとしたのだが、2億4000万の瞳が断らせてくれない、どこの国の物か分からないビールの栓を抜き、ぼくはグイグイと飲み干した。口当たりが良いのに切れ味がとてもある飲んだ事のないようなビールだった。さすがは郷ひろみだ。少し前からワインを嗜んでいたようで、饒舌に音楽の事を喋りだした。郷ひろみマイケル・ジャクソンが亡くなった事を嘆いていた。

「やっぱりあの時代の音楽がぼくなんかには合ってるわけ」

と言うと、おもむろにLPレコードを引っ張り出し、プレイヤーに置いた。針を持つその姿だけでも惚れ惚れするくらいかっこよかった。男のぼくが思うのだから、きっと女だったら、もうとっくに抱かれているに違いない。

「ぶつっ」というレコード独特の音がした後にかかったのは、Stevie Wonderの『Superstition』だった。独特のファンキーなグルーヴに合わせて、郷ひろみはキレのいい踊りを披露し始めた。ぼくはマイケル・ジャクソンの踊りについて詳しくは知らないのだけれど、マイケル・ジャクソンが憑位してるようにも思えた。郷ひろみはプライベートでも踊って、人を楽しませるサービス精神の持ち主だった。

ぼくは重く湿った空気を伝わせるように大きな拍手をした。純粋にかっこよかった。感動したのだった。その勢いもあってぼくは遠慮無しにビールを次々に空けて行った。郷ひろみは気遣いの人だった。すぐに新しいキンキンに冷えたビールを持ってきてくれる。

どれくらい時間が経ったか分からない、もうそろそろ帰らなければ失礼にあたると思った矢先、急に郷ひろみがこんな事を言い出した。

「ぼくにとって新潟ってのは第二の故郷なんだよ、すごく過ごしやすいし、程よく田舎で、いつもふらっとここに来てしまうんだ。」

アメリカに豪邸を構える男の発言とは思えなかった。豪華な暮らしをしてるようなスターはある程度の息抜きが必要で、それがこの土地のこの空気感だったんだなぁと思うと妙に納得してしまった。もう帰ろうかなと思った時、郷ひろみはとんでもない事を言い出した。

「そう言えば、知ってる?この隣には原田真二くんが住んでいるんだよ」

どんだけここに芸能人が居るんだよ!と思ったが、ぼくは次に遊びに行くのはそこだなともう心に決めていた。