ネットのニュースでこんなのがありましたよ。↓
「生きてることが辛いなら いっそ小さく死ねばいい 恋人と親は悲しむが 三日と経てば元通り」
というフレーズが「過激すぎる」とか「考えさせられる」とかで賛否両論になってて、それで放送するかどうか迷ってるとかなんとかですか?
いやぁ、ホントにこの国はどうかしてしまったのだろうか?というか、そんなにバカばっかりなのだろうか?何故にこのフレーズが過激すぎるのだろう。誰だって一度は思うだろうが。だって、事故ったニュースを観た時は、死に対して客観的になるでしょう。それを吐き出すように歌う事が何故「過激すぎる」のだろうか。
じゃあ『死にたくなるよ 生きていたいよ』とか『あなたを殺して僕も死にたい』とか、『信号が何色でもブレーキなんて踏まない 壊れてもいいんだ』とかにも「過激すぎる」って言うべきだと思うのだが。
そもそもセックスに関する事もそうだ。映画の中で過剰にセックスの事を描くと過激だと言われ、村上春樹が詳細にセックスの事を書いたり、スガシカオが『毎晩ボクに性交を求めてきた』と歌っても何も言われない。視覚から得るものの方が脳にダイレクトに伝わるからだと思うのだが、言葉というか文字で表す方がよっぽど過激でダイレクトだと思う。それに気付かないメディアというか一般論に腹が立って仕方がないのだが、
だいたい食欲と睡眠欲に並ぶ3大欲の性欲は大っぴらに話す事が出来ないという事はおかしくないか?どうでもいいと言われるが、オレにとってはまったくどうでもいい事じゃない。下ネタを話す事がかっこ悪い事だから、話さない方が男の美学として成立すると思ったら大間違いだ。
セックスと死について歌う事はタブーなのか?平和と愛については歌ってもいいのに?じゃあスピッツが死とセックスについて歌い続けてるのには過激と言われないのか?
オレに言わせれば某ジャニーズが「百年先も 愛を誓うよ 君は僕の全てさ」と歌う方が危険だと思う。これは商業臭いなぁというのもあるし、キャラもあるのだろうが、すごくそこには嘘くささと金の匂いがしてならない。こういう風に歌を作れば、まぁヒットするだろうし、女も飛びつくだろうみたいな?
例えばジョン・レノンが「オレは神もビートルズも信じない、でも愛するヨーコだけを信じる」というと、嘘くさく聞こえない。このフレーズには賛否両論あったはずだが、そこにジョン・レノンの本心が見える。
森山直太郎が「生きてることが辛いなら いっそ小さく死ねばいい」と歌った事は良い事だと思う。生きる事よりも実は死の方がすぐそこにあるものだったりするから、それだったら生きる事を選ぶよりも死を選ぶ事だって出来るでしょ。人間は。自分が世界の中に生きる事は当たり前なのに、死が突然やってくる事を人間は知らな過ぎる気がする。
だって、自分がいつ死ぬかなんて分からないよ?飲酒運転してるトラックが突っ込んで来るかもしれないし、包丁持った男が無差別に殺戮をしてるところに巻き込まれるかもしれない、当たる可能性が1000万分の1という宝くじには金を使えるくせに、自分が明日死ぬかもしれないという事には無頓着な生き物が人間なのだ。(ちなみに1000万分の1の確立というのは雷が落ちてきたり、飛行機が墜落する確立よりも低いのだよ、覚えておこうね)
例えば私がすげぇ有名な作家だったとして、TVでこういう事を言うとしよう。いや、もっと言えば、芸能人だったとして、ブログでこういう事を書くとしよう。すぐに炎上するよ。だって、その言葉の奥にある真意なんて、ちゃんと覗き込まないと分からないんだもん。
こんな事言うとモラルがないとか言われるんだろうが、人間の本心はやはり悪だと思っている私はモラルがなくて結構とも思うのだ。(私はカトリック教原理主義者でもないので、そこんとこよろしく)
しかし言葉というのは、やはり映像よりも鋭いと思う。言の葉と書いて言葉。藍坊主の曲で『言葉の森』という曲があるが、もし、言葉が言の葉ならば、それが集まって森になる事は非常にいい比喩だと思うのであった。
そういえば妹に『死は尊いと思う?』と聞いてみたら、
「それ間違ってんじゃねぇの?命は尊いけど、死は尊くねぇだろ!だったら自殺も尊くなるじゃねぇか!」と、オレとまったく同じ事を言い出したので、どうも死は尊くない方向に行きそうです。