『愛唄』の歌詞を分析してみた。

GReeeeNの代表曲は?と言われるとやはりここは『愛唄』という答えが多く返って来るんじゃないだろうか。CDが売れないという中で着うたフルのダウンロード数は500万件以上。今でもCMで使われたりして、mixiミュージックでも140万回以上の再生回数というメガヒットという言葉にふさわしい楽曲だ。今やJ-POPを代表する楽曲であると言っても過言ではない。かく言う私もこの『愛唄』だけはカラオケで歌いたいという単純な動機でiPodに入れて何回も聴いているし、実際にカラオケで歌ったりもする。

さて『愛唄』には印象的なフレーズがあり、それをいっつもネタにさせていただいてるのだが、そのフレーズというのが、

「愛してるだなんてクサいけどね だけどこの言葉以外 伝える事が出来ない」

「ただありがとうじゃ伝えきれない」


という部分である。この2つのフレーズが何故印象に残ってるのかというと、思わずつっこまずには居られない性分であるという事とは別に、このフレーズが楽曲の最初と最後に出てくるからで、「1つの言葉を伝える」という整合性がリンクしてるように思うが、その実、何故か、「ありがとう」じゃ伝えきれないと出てきて、「おい!どっちだよ!「愛してる」はその言葉以外伝える事が出来ないって言ったじゃん!」とつっこんでしまうのだ。何故「愛してる」は「愛してる」で成立するのに、「ありがとう」は「ありがとう」だけでは伝えきれないのだろうか。もしかしたらこの奇妙な整合性の中には何かが隠されてるんじゃないかと思い、『愛唄』を本気で研究してみる事にした。

GReeeeN『愛唄』歌詞↓
http://music.mixi.jp/view_track.pl?id=16039818&mode=lyric

分析その1:全員が作詞に参加している。
GReeeeNは作詞のクレジットが全員になっている。これが1つのキーポイントだと考えている。GReeeeNは4人組で高音が2人、低音が2人のボーカルグループだが、4人が作詞に関わってるとなると、どのように制作されたのかを調べる必要がある。

分析その2:異常なまでの匿名性。
GReeeeNは顔を出さない事で有名だが。GReeeeNはTV出演はもちろんの事、取材はおろか、PVからCDのジャケットなど、その顔出しNGは徹底している。なのでインタビューなどあるはずもなく、どのような想いで制作したのか、どのように作詞をするのかなども一切分からなかった。なので、ここからは完全な妄想と完全なネタになる事必至なので、笑い飛ばしてください。

分析その3:愛の唄を捧げすぎ。
サビで繰り返し出てくるのは仕方ないとしても、愛の唄を捧げるとか、贈るというのが、4回も出てくる。「君に捧ぐこの愛の唄」×2回「ヘタクソな唄を君に贈ろう」「隣でずっと愛を唄うよ」それもサビのフレーズではなく、一つの感情を表すところでも出てくる。お前は愛を唄を捧げる事が愛情表現の全てなのかよ!ただ最後に「僕は君と「愛」を唄おう」と、捧げるだけでなく、唄を一緒に歌おうと変わるのは良かったが、それにしても、何度も言われてるからなぁ、さらにそれですべてを回収出来てるとも思えないが、、、、

分析その4:日々を過ごす事を主張しすぎ。
「ただ 泣いて 笑って 過ごす日々に」「あれから色々あって 時にはケンカもして 解りあうためのトキ過ごしたね」「密度濃い時間を過ごしたね 僕ら2人 日々を刻み 作り上げてきた想いつのり」「歳をとって 声が枯れてきたらずっと 手を握るよ」「共に分かち合い生きていこう」「いくつもの夜を越えて」と言った具合にやたら時間経過や歳をとる事、一緒に生きていく事が誇示される。

分析その5:実はすべてのパーツが同じ事を唄っている。
似たようなフレーズが何度も出るという事や、同じ事が唄われてるという事はとりあえず分かったのだが、もっと歌詞を読み込んでわかった。これはプロポーズというか、結婚しようとまでは行かないけども、これからも居たいという事を何度も何度も何度も主張する唄なのだ。文体や状況、年代、構成はバラバラだが、1番とサビの最後、サビと2番のAメロとCメロ、は同じ事を歌っているし、ざっくり分ければ、2番以降の歌詞は全部言いたい事が一緒で、『愛唄』の中で独立しているフレーズはBメロの「君の選んだ人生はここで〜」のくだりと「この広い僕ら空の下〜」のくだりだけだったりもする。

分析その6:何故「愛してる」以外伝える事が出来ないのに「ありがとう」はそれだけじゃ伝えきれないのか?
最初に書いた通り、「愛してる」は「愛してる」以外伝える事が出来ないと唄われ、「ありがとう」はありがとうじゃ伝えきれないと唄われている。つまり『愛唄』の中で「愛してる」は「愛してる」であり、「ありがとう」には他の様々な感情も含まれてるという事になる。辞書で「愛してる」と「ありがとう」を引いても出てこなかったので、「愛する」と「有り難い」で調べると、なんと、これが驚く事に、「愛する」には4種類の意味があり、それが「愛する」「恋する」「惚れる」「好く」なのだが、「有り難い」には感謝しかなく、実際は、「愛してる」以外にも「好き」や「ずっと恋してる」など、伝えられる言葉はある。この場合意味合いは若干違うものの、辞書には他の意味があるのは「愛する」だけで「ありがとう」には「ありがトゥース」くらいしか他に伝えられる言葉がなく、言っても、それも感謝を意味するので、「ただアリガトウじゃ伝えきれない」というフレーズには若干の違和感がある。結局、このフレーズの意味は理解出来ずじまいだが、なんとなく整合性を取る為に書かれたフレーズである事は否めない。似たようなフレーズをまぶす事で作品に1つの芯を持たせる事が魂胆なのかも。

分析その7:『愛唄』は同じテーマを一人一人が書き上げたコラージュ作品である。
GReeeeNの『愛唄』は歌詞を読めば分かるが、言葉のコラージュで作詞されている。『愛唄』というイメージをフレーズの1つ1つで紡いでいってるので、1番、2番、3番と自分が愛する人への感謝と出会えた事への奇跡が声高に唄われる。ここから分かるのは、全員で共同作業で作詞をしてるのではなく、もしかすると、1つのパーツは1人が書き上げてるんじゃないか?という事だ。『愛唄』は全体的に整合性が取れておらず、さらに感情がかぶり倒してる部分もあり、非常にバランスを欠いた矛盾した歌になっている。これで思い出したのが、RIP SLYMEである。RIP SLYMEはMC全員が自分の唄う部分のリリックを作成し、それについて、他の人はあまり口出しはしないという。さらにDJの持って来たトラックから曲のイメージを膨らませ、曲のタイトルとテーマを決めた後は、各自がそれぞれにリリックを作るという。なんの裏付けもないが、GReeeeNもそれと同じように作詞してるのではないかと予想される。

最終報告:『愛唄』は何回も言ってあげないと分からない人のために作られたラブソングである。
私が『愛唄』を初めて聴いた時「同じ事何回も言ってない?」と素直に思った。曲を作って歌詞を乗せるという作業をした事がある人ならば分かるが、まずイメージを膨らませたうえで、自分の言いたい事や主張などを盛り込んだ場合、1回、俯瞰視して、バランスを取ったり、フレーズがかぶってないかを確認しなくてはならない。だが『愛唄』では似たようなフレーズ、似たような感情が羅列されてるので、その俯瞰視する作業をホントにしたのか?と言いたくなってしまう。基本的に『愛唄』で唄われてる事はただ1つ。「ケンカして、迷惑もかけたけど、君に出会えた奇蹟に感謝しているし、君とこれからもずっと過ごしたい」という事だけ。それを唄にして捧げるというのが全体で言いたかった事なのだ。the pillowsの『ストレンジ・カメレオン』やASIAN KUNG-FU GENERATIONの『ノーネーム』についての歌詞分析なんかもしたが、基本的にメタファーを重ねたりすると、意味を読み取るのに時間がかかるし、着うたで聴こうもんなら、聞こえてくる言葉を追うだけで、歌詞をじっくり読みながら音楽を聴くという事は毛頭しないだろう。つまり『愛唄』は、歌詞を観ないで、携帯から音楽をダウンロードをして、楽しむ人のために、何度も何度も同じような事を繰り返し言って、「こういう歌なんだ」と、聞いた人に理解させる歌である。それが証拠に、『愛唄』は着うたで500万件以上の特大ヒットになった。まさに時代とコンセプトが上手い具合にマッチした楽曲なのである。あういぇ。