そんなにアメコミに詳しくないぼくが『ウォッチメン』を読んだ。


ウォッチメン』を読んだのだが、なんで『ウォッチメン』が革命的な作品と呼ばれるのか分かった。例えば、ハードボイルドというジャンルを聞いて、一般的に想像するものと言えば、サングラス、バーボン、葉巻、トレンチコート、女、そして事件とか、そういうものだろう、松田優作の遊戯シリーズなんかを想像したりする人も居るかもしれない。ところがチャンドラーの『長いお別れ』を読むと、自分が想像しているハードボイルドとは違う世界が出てくる。『ウォッチメン』も同じようにヒーローもんってこういうもんだよなというのを想像してると衝撃を受ける。

ウォッチメン』に出てくるヒーローは正義の味方ではなく、どこか人間として欠落している。『ウォッチメン』には「なんたらビーム!」とかそういうのが無いので、アメコミのパブリックイメージを持って観ると、「何これ〜、暗いし、セックスは一杯出てくるし、血まみれだし、やだ〜」ってな事になる事必至。特にヒーローの一人であるコメディアンはベトナム戦争でベトコンを虐殺し放題で、さらに女はレイプするわ、性格的にかなり問題があるヒーローである。ロールシャッハも悪人をぶち殺す事で自分の精神を保っている状態だ。Dr.マンハッタンも同様。つーか、Dr.マンハッタン以外は普通の人間だし。

ウォッチメン』はアメリカ史をなぞりながらアメリカを批判する。アメリカが正義の名の下に行って来た事はホントに正しかったのか?を分かりやすい形で読者に突きつける。だからコミックの中のアメリカ史は現実と若干違うものになっているのだ。

ウォッチメン』に出てくるヒーロー達はアメリカが持つ二面性を表現している。ヒーロー達は法律によって、活動出来なくなり、やがて犯罪者として世間にも叩かれまくる。コミックの中ではヒーローのせいに出来るのだが、現実ではどうだろう?誰もアメリカを法律では止めないし、イラクに攻め込んだブッシュを逮捕も出来ない。

ザック・スナイダーは『ウォッチメン』を映像化する時、現代風にアレンジしてくれというのを拒否したらしいが、それも頷ける内容だ。現実にヒーローはいない、ヒーロー達が居ないからこそ、今こそアメリカは過去に行って来た事を反芻すべきなのだと思う。

そして、ラスト。“知ってはならない真実がある”というのが映画のキャッチコピーになってるが、これ考えた人上手いと思った。まさに知ってはならなかった真実を突きつけられ、ただ立ち尽くすしかないヒーロー達。平和をもたらすのに正解は無いという事を改めて思い知らされた。いや、そもそも平和とか、正義の定義だって元々あいまいなのだけれど。

それにしても完璧に映像化してるとしたら、ホントにすごい。セックスは出てくるし、バイオレンスもすごいし、血まみれだし、倫理的に目を背けたくなるような描写も連発される。何よりも一つのコマに収められてる情報量がハンパじゃなく、看板の文字から、新聞の見出し、もっと言えば、構図から何から何まで、『ウォッチメン』を形成してるような気すらある。なんとなく読んでたコマに伏線があったりして、後で読み返すと驚いたりする事もあって、ものすごく作り込まれたコミックなのは読めば分かるだろう。

アメコミをそこまで読んでないから偉そうな事は言えないけど、『ダークナイト・リターンズ』も傑作だと思ったが、『ウォッチメン』はアメコミそのものを根底からひっくり返すような作品だと思うなぁ。つーか、20年以上前にひっくり返してたんだった。とにかく今から映画が楽しみである。あういぇ。