今更ブラーをひたすら聴いてました。


ブラー、初ドキュメンタリー映画が3日間限定公開 | BARKS

ブラーのドキュメンタリー映画が来年公開されるってことで今から楽しみでしょうがないのだが、恐らく新潟では公開しないので、DVDでの鑑賞になるはずだ。ブリットポップを振り返るような映画も公開されたりしたが、その代表格であるブラー単体のドキュメンタリーというのはなかなか珍しい。

ぼくはブラーというバンドがすごく好きで、何故かアルバムも全部買ってしまってるくらいなのだが、たまたまぼくの周りだけなのか、ブラーを知ってるという人が居ない。同じイギリスの同年代バンドとして、オアシスやレディオヘッドは知ってても、ブラーはバンドの名前すら聞いたことがないという人が結構居る気がする。

ぼくが初めてブラーを知ったのは10年くらい前だ。前の職場に車でしかMDを聞けない先輩が居て、「これ録音してくれ」と数枚のCDを渡されて、その中に唯一洋楽としてあったのがブラーの『パークライフ』であった。

ぼくは洋楽と言えばビートルズとオアシスくらいしか知らなかったので、ホントに録音してあげるついでに聞いてみたんだけど、一発で気に入ってしまった。その先輩からは何の情報も無く渡されただけだったし、当時の音楽の状況だとか、作品に込められたコンセプトなんかは分からなかったんだけど、単純に、とてつもなくいい曲がたくさん入ってるアルバムが『パークライフ』だった。

聞けば、オアシスとブラーは当時ライバル関係にあったらしいが、オアシスの『モーニング・グローリー』が『ラバー・ソウル』だとすれば『パークライフ』は『サージェント・ペパー』の印象があって、オアシスとブラーが合体すればビートルズになるなと当時はホントに思ったくらいだった。

今改めて『パークライフ』を聴くと、『サージェント・ペパー』よりも『ホワイト・アルバム』っぽさを感じた。変態的なコード進行にカラフルでサイケな要素が加わって、ディストーションのギターによって色づけされてるため、ともすればマニアックになるはずなのだが、耳に馴染みやすいポップなメロディとぶっきらぼうなボーカル(良い意味で)のおかげで大衆向けにぐっと寄っていったのが、『パークライフ』の勝因だろう。クイーンやビーチボーイズを彷彿とさせるコーラスワークやガラスが割れたり、鳥の鳴き声がしたり、波の音がしたりするSEも絶妙な隠し味で、やっぱり『パークライフ』は一級のマスターピースだった。

ブラーは半分アイドルのようなイメージで、さらにポップなイメージがあるかもしれないが、その後に出した5枚目のアルバム『ブラー』がすごかった。ダウナーで内省的で実験的な楽曲が並び、発売した時は商業的な自殺と言われたくらい、サウンドは取っ付きにくいもんになっていた。ミスチルが『アトミック・ハート』の後に『深海』を出した以上の衝撃があって、それまでのポップセンスを求めてる人には「なんじゃこりゃ!」となったかもしれない。

ぼくが『ブラー』で受けた印象は、ブリットポップという不確かなモノに対する批評的な視点だった。元々ロックはアメリカのものだという考え方の元、グランジ/オルタナティブのムーブメントを手元にぐっと引き寄せて、改めて自分たちの音楽と音楽史を見つめなおしたようなスケールのデカさを感じた。さらに実験的な精神に満ちていて、明らかに捨て曲だろというものもあるが、その不完全さも含めて、ぼくは同じ年にリリースされた『OKコンピューター』よりも『ブラー』の方が好きだ。同じようにバンドの音楽性をがらりと変えるという意味で、スマパンの『アドア』やレディオヘッドの『キッドA』も似たようなポジションだろうが、それらよりも音楽的な変化は大きく、故にぼくはこれ以降のブラーにはそこまで関心が無い。と言っても、聴いてしまうのだけれど。

というわけで、今更ブラーってかっこいいなぁと思ってるところに映画の公開を知って今から待ち遠しいのだけれど、ぼくより若い世代にも是非ブラーを聴いて欲しい。というか、日本におけるブラーのポジションってどんな感じなのだろうか、あういぇ。

パークライフ

パークライフ

ブラー

ブラー